飛鳥の石造物

飛鳥には多くの石造物が残されています。今回は、益田岩船、猿石、鬼の俎(なまいた)・鬼の雪隠(せっちん)、亀石、酒船石遺跡、マラ石を巡りました。

益田岩船

近鉄岡寺駅で降り、自転車で岩船山へ向かいました。そこから20分ほど登ると、益田岩船が姿を現します。

益田岩船

大きな石です。
サイズは東西11メートル、南北8メートル、高さ4.7メートル。飛鳥地方の石造物の中で最大です。
石のてっぺんには四角い穴が2つ開けられ、下方には格子状の溝が掘られています。
この石の用途については、この地に築造された益田池の台石とする説、横口式石槨とする説、占星台の基礎説、物見台説があるそうです。
用途は確定されていないけれど、加工技術などから7世紀に作られたものと考えられています。

猿石

益田岩船の次は猿石です。
猿石は欽明天皇陵の近くにある吉備姫王の墓にあります。

欽明天皇は第29代天皇で、父は継体天皇、子に用明天皇、推古天皇などがおられ、聖徳太子の祖父にあたります。
陵は全長140メートルの前方後円墳です。

欽明天皇陵

吉備姫王は孝徳天皇と皇極(斉明)天皇の母で、皇極天皇2年(643)に亡くなったことが日本書紀に記されています。

吉備姫王墓

吉備姫王の墓域にある4体の猿石は欽明天皇陵の南側の水田から掘り出されたもので、「女」「山王権現」「僧」「男」と名付けられています。

女と山王権現
僧と男

「女」「山王権現」「僧」「男」の名前がありますが、たしかに猿に似てますね。どの像もていねいに造られていて、表情が豊かです。
ウィキペディアによると、石が掘り出されたのは江戸時代の元禄15年(1702)。邪魔物扱いされずに、残してくれたことに感謝です。

鬼の俎・鬼の雪隠

現地にあった説明板によると、鬼の俎・鬼の雪隠は封土を失った古墳の石室で、底石(俎)の上にあった蓋石(雪隠)が転げ落ちたために、離れ離れに残っているそうです。

鬼の俎
鬼の雪隠

この2つは大化2年(646)の喪葬令に基づいて造られているということです。この時代から、古墳に使う石であっても、法令を遵守しているところに感慨を覚えました。
一方で、「このあたりに住んでいた鬼が、霧を出して通行人を捕らえて俎の上で料理し、雪隠で用を足した」という伝説は自由でユニークな発想ですね。

亀石

形がユニークです。亀石と名付けられていますが、カエルにも見える形をしています。愛きょうのあるカメという感じです。

亀石

作られた時期も用途もわかっていないそうですが、伝説が残されています。

 むかし、大和が湖であったころ、湖の対岸の当麻とここ川原の間にけんかが起こった。長いけんかのすえ、湖の水を当麻にとられてしまった。湖に住んでいたたくさんのカメは死んでしまった。何年か後に亀をあわれに思った村人達は、亀の形を石に刻んで供養したそうである。
 今、亀は南北を向いているが、もし西を向き当麻をにらみつけたとき、大和盆地は泥沼になるという。

明日香村の石碑より

亀石を移転させるのは危険ですね。もし誤って西向きに置いてしまったら、たいへんな災害が起こるかもしれません。

酒船石遺跡

酒船石遺跡の近くには酒船石という石造物もあります。どちらも「酒船石」で混乱しますが、酒船石は遺跡の上の丘にある石造物で、酒船石遺跡は丘の下にある亀形石造物・小判形石造物・砂岩湧水施設で構成された遺跡です。

酒船石は長さ5.5メートル、幅2.3メートル、高さ1メートルの一枚岩で、上面には丸型のくぼみとそれを結ぶ溝が掘られています。この形状から、酒を絞る槽、油や薬を作るための道具、庭園の施設などの説があるそうです。
この形を見たら、誰もがこの溝に水(液体)を流したんだと思いますね。

酒船石

酒船石遺跡の方も水を流したことがわかる遺跡です。
発掘されたのは平成12年(2000年)と意外に新しく発見された遺跡です。

酒船石遺跡

日本書紀の斉明天皇2年の条に「石を重ねて垣とする」との記述があり、酒船石遺跡がこれに当たると考えられています。
その後、この施設は平安時代まで250年にわたって使われたということです。今の時代だと、神社や寺は別として、250年間に渡って使われる施設はあまり考えられません。

マラ石

最後はマラ石です。

マラ石

今は斜めになっていますが(30度らしい)、本来は真っすぐ立っていたという説明がありました。
飛鳥時代に作られたとすると、1,300年から1,400年前のものですが、先端の溝や頭部を包もうとする皮の感じがリアルで、同じ形をしているなあと思いました。
これぐらいの期間では人間は変化しないですね。