崇神天皇の御代、国に災いが起こった際、天照御大神を宮中にお祀りするのは畏れ多いとして、宮中の外へお遷しすることとなりました。
豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)を御杖代(みつえしろ)として、最初に倭笠縫邑(やまとかさぬいむら)(現在の奈良県桜井市にある檜原神社が伝承地とされる)にお遷りになりました。
その33年後には、丹波の吉佐宮(よさのみや)に遷座され、さらに4年後に大和へ戻られました。
御杖は倭姫命(やまとひめのみこと)に受け継がれ、20数カ所を巡行されたのち、今の伊勢神宮にご鎮座されました。
伊勢に鎮座する以前、天照御大神がお遷りになった神社が元伊勢と呼ばれています。
吉佐宮の伝承を持つのは天橋立にほど近い籠神社(このじんじゃ)とその奥宮である眞名井神社が知られていますが、大江山のふもと、大江町にある皇大神社と豊受大神社も吉佐宮の伝承を持つ元伊勢の神社とされています。
元伊勢内宮皇大神社
境内に入る鳥居は「黒木の鳥居(くろきのとりい)」と呼ばれます。樹皮がついたままの丸太を使い、加工をほとんど施さずに組み上げた、最も古い形式の鳥居と考えられています。

境内には巨大な杉が何本もあり、「龍灯の杉」と呼ばれる木は樹齢2000年と推定されています。天照御大神がこの地にお遷りになったとされる時期に芽吹いたと考えられる木であり、その長寿には驚かされます。
また、「麻呂子の杉」という巨木があり、聖徳太子の弟と伝えられる麻呂子親王が、丹波に巣食う鬼を退治したときに植えたと伝えられています。このように、丹波の鬼退治といえば源頼光による酒呑童子退治が有名ですが、それ以前にも麻呂子親王による鬼退治伝説が残されているのです。
境内の片隅に和泉式部の歌塚がありました。
和泉式部と皇大神社の関係はよくわかりませんが、夫の藤原保昌が丹後守に任じられて丹後に住んだと伝えられること、娘の小式部内侍が詠んだ
「大江山 いく野の道の 遠ければ まだふみも見ず 天の橋立」
という歌から、大江山のふもとに鎮座する皇大神社とも関係があったのかもしれません。

次に天岩戸神社の方へ移動しました。
途中、日室ヶ嶽(ひむろがたけ)の遥拝所があります。
日室ヶ嶽はきれいな形をした神体山(しんたいざん)です。この遥拝所は「一願さん」と呼ばれ、一つだけ願いをかけると必ず成就するとされています。

天岩戸神社
ご祭神は、櫛岩窓戸命(くしいわまどのみこと)と豊岩窓戸命(とよいわまどのみこと)の2柱で、門を守る神様です。
天岩戸神社の後方には、御座石(ございし)と呼ばれる大きな石があり、神様が降臨したと伝えられています。
天照御大神がお隠れになった天岩戸のように、御座石は川にフタをして、流れをせき止めているかのようです。
このあたり全体は神秘的な雰囲気にあふれています。

天岩戸神社の本殿へは鎖を伝って登らなければなりません。
高さはさほどでもないのですが、滑り落ちないよう注意は必要です。

社殿から約50メートル下流には、神様が湯浴みをしたという、「産盥(うぶだらい)」があります。
産盥の中の水は神水で、産盥を見下ろすことができる産盥遥拝所からは安産祈願ができます。

元伊勢外宮豊受大神社
豊受大神社は内宮皇大神社から3キロほど南に位置しています。
豊受大神社も皇大神社と同じように黒木の鳥居でした。

豊受大神社では当社と、富士山、伊夫岐神社、出雲大社が一直線に並ぶ御来光のレイラインを形つくることと、そして伊勢神宮、熊野本宮大社、伊弉諾神社、伊夫岐神社で五芒星となることが案内などで強調されていました。
春分の日や秋分の日に、太陽が昇る方角に合わせて、神社が築かれたのかもしれません。

境内には「龍登の桧」、「龍燈の杉」という巨大な神木が生えていました。龍燈の杉は樹齢1,500年を超えるとされているので、元伊勢内宮皇大神社の「龍灯の杉」と同様に驚異的な長寿を誇ります。

今回お参りした元伊勢三社には長い歴史があり、1,000年を超える巨木が存在していることからも、ずっと大切にされてきたのだと感じました。



















