慈眼寺・ねずみ小僧次郎吉の墓
慈眼寺は大化四年(648) に法道仙人により創建されたと伝えられています。法道仙人は本当にたくさんのお寺を開いています。 その後、慈眼寺は一時荒廃しましたが、暦応二年(1339)に播磨の守護・赤松円心によって再興されたと...
北播磨慈眼寺は大化四年(648) に法道仙人により創建されたと伝えられています。法道仙人は本当にたくさんのお寺を開いています。 その後、慈眼寺は一時荒廃しましたが、暦応二年(1339)に播磨の守護・赤松円心によって再興されたと...
加古川市加古川城跡である称名寺を訪問しました。天正五年(1577)、ここで加古川評定が行われました。味方だったはずの秀吉と三木別所氏が決別。織田・秀吉 vs 別所・播磨勢・毛利の戦いが始まりました。 15歳の加古川城主・糟屋武則...
姫路市姫路城の北西にある慶雲寺の境内に、お夏清十郎比翼塚が祀られています。 お夏は姫路の大店但馬屋の娘。清十郎は室津の造り酒屋の息子で美男であった。清十郎は故あって但馬屋に務めるようになる。但馬屋で律儀に勤めた清十郎は万人から...
福崎町福崎町にある柳田国男の生家を訪問しました。 柳田国男氏は次のような人です。 明治8年(1875)、松岡操の六男として現兵庫県神崎郡福崎町辻川に生まれる。 東京帝国大学を卒業。農務官僚、貴族院書記官長、枢密顧問官などを務...
姫路市幕末の姫路藩で尊皇攘夷の運動がありました。元治元年(1864)甲子の獄と呼ばれる姫路勤王志士の粛清で姫路藩の反幕運動は終わります。そのとき、攘夷運動の中心にいたのが河合惣兵衛です。 河合惣兵衛祈念碑 河合惣兵衛祈念碑が姫...
加古川市加古川にある神吉城址を訪問しました。現在、城跡は常楽寺になっています。 織田信長の播磨攻めにあい、織田軍三万に対し千名ほどの城兵で戦いました。織田軍には織田信忠(織田信長の嫡男)、明智光秀、佐久間信盛、荒木村重という、織...
加古川市志方八幡神社にお参りしました。志方八幡神社は加古川60選に選ばれています。以下の説明が書かれていました。 天永二年(1111)宮谷に創祀され、明応元年(1492)現社地に奉還して八幡神を勧請しました。古来、厄除け安産の神...
加古川市加古川市東神吉町に那須与一の石仏というのがあります。 那須与一は源平合戦の屋島での戦いで、平家の軍船に掲げられた扇の的を射落としたことで有名な武将です。生まれは関東。京都伏見で死去されたようで、神吉町とは全く関係がなさそ...
加古川市法道仙人はインドの人。7世紀中頃日本に来たとされています。空を飛ぶ術を心得、日本に飛行してきて八葉の蓮華に囲まれたような山があるので降り立ちました。そこが今の一乗寺になっています。托鉢の鉢を播磨灘まで飛ばして、海上の船か...
姫路市浜の宮天満宮は秋祭りで有名な神社です。 ここの祭りは、屋台の台場差しがすごい。台場差しは、まさに男の気迫と力を結集して屋台を持ち上げる技。安政二年(1855)より伝承されていて、姫路市の無形民俗文化財に登録されています。...