播磨国分尼寺跡
国分尼寺跡に行きました。当時の建物は何も残っておらず、住宅の横に国分尼寺跡を示す石碑が立っていました。 石碑に次のように説明されています。 今までに発掘調査が5回行われている。 調査の結果、寺域は東西134m、南北180...
国分尼寺跡に行きました。当時の建物は何も残っておらず、住宅の横に国分尼寺跡を示す石碑が立っていました。 石碑に次のように説明されています。 今までに発掘調査が5回行われている。 調査の結果、寺域は東西134m、南北180...
長塚古墳は田んぼの中にポツンとあります。確かにその一角だけ盛り上っています。看板がなかったら古墳とは思えませんでした。 この古墳はもともと前方後円墳だったとということですが、まったくそんなイメージがありません。長い年月を...
姫路風土記の里巡りで、播磨国分寺跡を訪れました。残念ながら当時の建物は何も残っておらず、塔の基壇、礎石と築地堀が復元されています。案内板の説明によると、「三町四方の境内に七重の塔、金堂、講堂が建ち並び、大国播磨にふさわし...
御着城は黒田官兵衛の主人である小寺家の城です。御着城址はJR姫路駅から東へ二駅の御着にあります。黒田官兵衛の時代は小寺政職が御着城主で、黒田家の姫路城より御着城のほうが大きい城でした。 現在、本丸と二の丸跡にお城の形をし...
壇場山古墳は5世紀前半に作られた古墳です。神功皇后が新羅出兵の途中、この山に壇を築き戦勝を祈ったことから、壇場山と名付けられました。古墳は兵庫県第2位の大きさで、墳丘の全長は143mあります。多量の鉄製武器、刀剣類が出土...
姫路市四郷町は見野古墳群、宮山古墳など、多くの古墳が残っています。 見野古墳群は古墳時代後期、6〜7世紀に造られた20基の古墳群です。姫路の石舞台(10号墳)や夫婦塚(6号墳)など、特徴のある古墳が残っています。 3号墳...
ミストラルにペットボトル用のボトルケージを取り付けました。取り付けるボトルケージはミノウラ PC-500 ミストラルにはボトルケージのネジ穴にボルトが取り付けられています。まず、六角レンチを使ってこのボルトを取り外します...
羽柴秀吉による播州の侵攻の前は、今とはまったく違う姫路があったようです。英賀に三木氏の英賀城、御着に小寺氏の御着城がありました。当時、姫路城は小寺家の家老・黒田家の居城であったようですが、城は小さく、天守などもなかったよ...
たつの市にある梛八幡神社は獅子舞で有名です。兵庫県の文化財にも指定されています。 播磨風土記、峰相記などにも記されているという古い神社です。 御祭神は足仲彦命、品位和気命、息長足姫命です。 播磨の古書 峯相記には、天平宝...
国立博物館で開催されている「出雲と大和」展に行きました。古代日本の遺物、遺跡が出雲から大和へと移り変わっていくのが展示されています。 国立博物館に来たのは初めてです。 出雲と大和展は平成館で行われていました。 入ってすぐ...