たつの市新宮の宮内遺跡を訪問しました。
宮内遺跡は縄文時代後期から平安時代の集落遺跡で、弥生時代中期に最盛期を迎えました。
昭和40年以降に行われた調査で、大溝、竪穴式住居や堀立柱建物、お墓の跡が明らかになりました。
パンフレットにあるように竪穴式住居、溝、円形周溝墓、方形周溝墓などがあります。
宮内遺跡には竪穴式住居が3棟あります。
この遺跡の世話をしてくれているボランティアの方がおられて、住居の中に入れてくれました。
中は地面を少し掘り下げた空間になっていました。
竪穴式という名から、もっと深い穴を掘っているのかと思っていましたが、深さは30cm〜40cm程度。かまどのような穴もありました。
骨格になる木材にかやをかぶせて、屋根を作っています。上の方には煙を外に出す穴もあいています。木材とかやはわらでくくられている。
この住居はボランティアの手で作られたそうで、ところどころ針金でくくっているそうです。
わらがすぐに痛むので、メンテナンスが大変とのこと。
弥生時代にこの建物を作るときは村人総出で作ったのでしょう。
竪穴式住居の一つは直径が10m、高さが6mと、だいたい24坪で2階建ての高さがあり、ボランティアで復元されたものとしては、県下最大の大きさとのことです。
建物の中は涼しかった。雨はかやに沿って流れていくので漏れてこないそうです。
敷地内には竪穴式住居だけではなく墓地、溝があります。
弥生戦士の墓がいたましいです。
サヌカイト製の石鏃(せきぞく)19点が出土した。その位置からすると、18点は被葬者の胴部〜大腿部付近に、残りの1点は頭部に当たるあたりに打ち込まれていたと考えられる。おそらく集団の先頭に立って戦い、壮絶な最後をとげた弥生戦士の墓であろう。
丁重に葬られているところから、この戦士の集団は戦いを切り抜け、死んだ戦士は仲間に連れ戻してもらったものと考えられる。
19個の鏃なので、集中的にやられたのでしょう。
石の鏃なので、すごく痛そう。
それでも、ちゃんと埋葬してもらえたのは良かったのではないでしょうか。
遺跡内には大きな溝が掘られています。溝の目的などははっきりとはわからないようです。
この溝は北大溝といい、最大で幅5.6m、深さ1.6mということなのでかなり大きい。
溝を掘った時の土砂は溝の外に積み上げられ、土塁のようになっていたと考えられるとのこと。
お城の堀のような役目をしたのでしょうか。
竪穴式住居は初めて見たので勉強になりました。
昔々、ここに大勢の人が暮らしていました。その人達が楽しく平和に暮らせていたことを願いたいと思います。
また、こういう施設がボランティアの人の手を借りて維持できていることも知ることができました。