観濤処

石の宝殿の生石神社の近くにある観濤処を訪ねました。
石の宝殿を含めてこの辺り一帯を竜山と呼びます。

観濤処へ登る石段の脇に加茂神社があります。
石の宝殿の近くからか、境内にはいわくありげな石が置かれています。

また、石段脇には法道仙人の空鉢伝説の碑もありました。

加茂神社境内の石

石段の段数は結構多くて、疲れました。
山の中腹まで登るのだから、段数が多いのも当たり前でした。

なんとか登って観濤処に到着です。

大きな岩に「觀(かん)」「濤(とう)」「處(しょ)」の文字が刻まれています。
3 m × 10 m、1.8 m の大きさで 思っていたよりずっと大きいものでした。

文字は、江戸時代に活躍した儒学者で書家の永根文峰(ぶんぽう)が 19歳の時に書いたものです。
文峰を姫路藩の儒者を務めましたが、天保四年(1833)文峰は 32歳で亡くなります。
天保七年(1836)、姫路藩家老の 河合寸翁 (すんのう)は文峰の書を岩盤に刻ませました。

観濤処 の隣に「落ちない岩」がありました。落ちないので受験生に人気だそうです。

落ちない岩

観濤処から遠くの海を見ました。今は海が埋め立てられ工場が建っていますが、昔は近くに海が、波が見えたのでしょう。