加古川にある鶴林寺。
聖徳太子によって建てられたという寺で、本堂と太子堂が国宝に指定されています。
その他にも貴重な建物、文化財が残されています。
まずは大きな仁王門です。
立派な仁王様がおられます。
仁王門をくぐり、正面に見える大きな建物は国宝の本堂です。
建立は応永4年(1397)。
中国から伝来した唐様や天竺様という建設様式と日本古来の和様がミックスされた折衷様で建設されています。本堂は折衷様式のもっともすぐれた建物ということで、国宝に指定されました。
本堂の内側も重々しく歴史を感じました。本尊は平安時代に作られた薬師五尊像(重要文化財)です。扉の向こうに安置されています。御開帳は60年に1度。次回は2057年で、だいぶ先です。
それまでに特別に御開帳されればと思います。
もう一つの国宝は太子堂です。
聖徳太子が12歳の時、播磨におられた恵便法師を訪ねてこられ、仏法の教えを受けました。太子16歳の時(崇峻天皇2年 / 589年)、秦河勝に命じて精舎を建立。四天王寺聖霊院と名付けられたというのが鶴林寺の起源とされています。
ただし、この太子堂は天永3年(1112)の建立なので、聖徳太子が建てた聖霊院とは違います。
屋根はきれいな柔らかい形をしています。
太子堂と対を成すのは常行堂です。
太子堂とほぼ同時代に建立された建物で、屋根は太子堂と同じ桧皮葺でしたが、永禄9年(1566)に瓦屋根に葺きかえられました。桧皮葺のままだったら、常行堂も国宝になっていたかもしれません。
次は薬師堂です。ここにはウインクをする仏様がおられます。
薬師如来の両隣には、薬師如来の守護神十二神将が並びます。
その内の一人、摩虎羅大将がウインクをする仏様です。
もとは弓を持ち、矢を引き絞って狙いをつけたお姿でしたが、弓矢がなくなってしまい、ウインクをしているようになってしまったとか。
その他には三重塔、行者堂、観音堂などの建物(鐘楼は工事中でした)があります。
建物以外には石造物、句碑もたくさんあります。
法華一石一字塔には「ふりきり門」の案内がありました。
この塔の裏にパワーストーン「ふりきり石」があり、念じながら回すと、心にある邪念を振り落とすことができて、新たな自分に生まれ変われるそうです。
この句碑は加古川出身の江戸時代の俳人・滝瓢水(たき ひょうすい)のもので、
「ほろほろと 雨そう須磨の 蚊遣りかな」
の句が刻まれています。瓢水は俳句に打ち込み、家業の船問屋を潰したという人物でした。
亡くなった母に対しては
「さればとて 石に布団は 着せられず」
の句を詠んでいます。親孝行すればよかった、でももう遅い、という気持ちがうまく表現されていると思います。
宝物殿にはあいたた観音他の寺宝がたくさん展示されています。
鶴林寺は本当にいろいろな文化遺産が残っている寺でした。