坂越浦会所

坂越浦会所は坂越浦の役所としての働きと、赤穂藩の茶屋としての役割を持った会所として、天保3年(1832)に建てられました。
2階には観海楼という藩主専用の部屋が設けられています。

坂越は播磨灘に浮かんだ家島諸島があるおかげで、波の影響を受けにくいということが説明されています。
室津の港も同じことが言えるようです。

坂越は北前船の寄港地でした。
兵庫県で北前船の寄港地は坂越、室津、姫路、高砂、淡路、神戸と日本海側の新温泉町です。
北前船なので日本海をメインの航路としている割には、兵庫県の場合、日本海側の寄港地が1港だけなのが意外です。
北前船、菱垣廻船、樽廻船の航路の違い、ビジネスモデルの違いなどの説明があって、勉強になりました。

船の模型が置いあり、一つは高瀬舟の模型です。高瀬舟は荷物を川で運搬するための舟です。
「坂越は海」としか思っていなかったのですが、坂越は瀬戸内海流通と千種川の高瀬舟流通とをつなぐ拠点としての役割も果たしていました。瀬戸内海と千種川を使って、内陸の商品を瀬戸内海へ、瀬戸内海を渡ってきた商品を内陸に送り届けることができたのですね。

壁に哲学者、歴史家の梅原猛氏の書が掲げられています。なぜ、梅原猛?と思い、調べてみました。

梅原氏は大避神社の神様・大避大明神である秦河勝を題材とした能「河勝」を創作。2009年には赤穂観光大使に就任されました。
ここに書かれている「翁と河勝 」は梅原氏の本のタイトルでした。

梅原猛氏の書

「落の間」と名付けられた藩主専用の部屋。
扉が小さく、秘密の部屋の趣があります。調度品は上品できれいです。赤穂独特の焼き物「雲火焼」が置かれていました。

「落の間」への入り口
雲火焼

小さい庭ですが、これもまたきれいです。

坂越浦会所は昭和5年(1930)にその役目を終えて、「坂越公会堂」として改造され、図書館やその他のいろいろなことに使われてきました。
その後、平成4年(1992)に赤穂市有形文化財に指定され、平成6年(1994)に解体復元工事が完了し、現在の坂越浦会所となっています。