伊和都比売神社

伊和都比売神社にお参りしました。
この神社は恋人たちの聖地らしく、カップルがたくさん訪れていました。
御祭神は伊和都比売大神、航海安全や縁結びの神様です。
鳥居から海を見ると、とてもきれいです。

浅野長直公が天和三年(1683)に現在の場所へ遷座したということです。浅野長直公は松の廊下の刃傷事件を起こした浅野内匠頭の祖父です。

元の場所がどこにあったかということについて、2つの資料がありました。

説1:大園と呼ぶ前方海上の八丁岩の上にあった。
   (伊和都比売神社の説明看板より)
説2:「畳岩」と呼ばれる神社の東側の海岸の岩礁に祠があった。
   (赤穂市教育委員会発行 文化財を訪ねて No.22より)
沖に見えるのが御前岩
畳岩

赤穂市教育委員会発行 文化財を訪ねて No.22には次の物語が載っています。

その昔、三崎の地に住んでいた大国主命の姫であるイワツヒメは、毎夜訪ねてくる夫を待つ日々を送っていた。ところがいつの頃からか夫が訪れなくなり、姫は畳岩の上で毎日待ちわびていたが、遂にその岩の上で亡くなってしまった。村人は悲しんでそこに祠を建ててお祀りしたのが伊和都比売神社で、江戸時代になって浅野長矩が現在地に移した。

祠があった岩礁は神社の東側の海岸にあり、「畳岩」(『播州赤穂郡志』では「大園」とも記している)と呼ばれ干潮の時にだけ陸続きとなる。また、神社の鳥居前方の海上に「御前岩(鷗護岩)」という沈礁があり、現在は灯台が立てられてれいる。

「イワツヒメが待っていた」、「祠があった」ということから、元の位置は畳岩の方が自然な感じがします。しかし、沖の御前岩に何らかの神威を示すものがあったのではないかと思います。

手水鉢
松の廊下の刃傷事件があった元禄14年(1701)に寄進されました
拝殿


近くには山城に向かう大石内蔵助が御崎に立つ松を見上げ、名残を惜しんだという松があります。
赤穂は忠臣蔵、大石内蔵助が至るところに出てきます。