水戸・偕楽園

ゴールデンウィーク中に偕楽園(かいらくえん)を訪れました。
偕楽園は、水戸藩主・徳川斉昭公が天保13年(1842年)に造った庭園で、岡山の後楽園、金沢の兼六園と並び、日本三名園の一つとされています。
その名は「領内の民と偕(とも)に楽しむ場にしたい」という願いから名付けられました。

偕楽園のそばには千波湖という大きな湖があります。こどもの日を前に、たくさんの鯉のぼりが風になびいていました。

千波湖は東京ドーム約7個分の面積がありますが、平均水深が1メートル、最大水深が1.2メートルと非常に浅い湖です。まるで巨大なプールのようですが、泳ぐことはできないそうです。
園内には広大な空間が広がっています。この日は結婚式の前撮り写真を撮影しているカップルの姿も見られました。お二人にとって、幸せいっぱいの記念日になったことと思います。

ツツジが真っ赤に咲き誇り、見頃を迎えていました。
ツツジの間に見える木造の建物は「好文亭(こうぶんてい)」です。

好文亭は徳川斉昭公が設計し、天保13年(1842年)に建てられました。
「好文」は梅の異名で、「学問に親しめば梅の花が開き、学問を廃すれば梅の花が開かなかった」という中国の故事に基づいているそうです。当時の人々は中国の歴史や漢字にも深い造詣があったのですね。

好文亭に入ってみると、ふすま絵が見事でした。ここから見る偕楽園も素晴らしい眺めですし、好文亭自体が高台に建てられているため、遠くまで見通せます。
ここで食事をしたり、遊んだりするのは、楽しかったに違いありません。
驚いたことに、階上へ料理を運ぶためのリフトが作られていました。これは日本初のエレベーターだと言われています。

偕楽園の入口(東門)の近くには「大日本史完成之地」という石碑が建っています。

『大日本史』は水戸藩が編纂し完成させた日本の通史です。明暦3年(1657年)に水戸藩第2代藩主・徳川光圀(みつくに)公(水戸黄門)によって編纂が開始され、250年後の明治39年(1906年)に完成した、全397巻におよぶ膨大な歴史書です。

ウィキペディアによると、主に次の3つの特徴があるそうです。

  • 歴代天皇の一人に数えられることもあった神功皇后を「后妃伝」に列したこと
  • 天皇として扱われていなかった弘文天皇(大友皇子)を、「本紀」に列したこと
  • 南朝を正統な皇統として位置づけたこと

この歴史書は幕末の尊皇思想に大きな影響を与えたとされており、『大日本史』がなければ歴史は変わっていたかもしれません。

今回は、ツツジが満開のゴールデンウィークに訪れました。次回は、3,000本の梅の花が咲く3月にも、ぜひ訪れてみたいものです。