大倉山・伊藤博文像台座

大倉山公園を歩いていたら大きな石のモニュメントのようなものがありました。
伊藤博文の像の台座でした。

第二次世界大戦まではこの台座の上に高さ3mの伊藤博文の像があったそうです。
自身が中心となって起草した帝国憲法の草案を持ち、フロックコートを着た姿でした。
像は金属回収令により供出されてしまいました。

大倉山の元の名は安養寺山。日清戦争後、明治の実業家・大倉喜八郎が安養寺山の土地を買い取り別荘を建てます。その別荘を友人であった伊藤博文が利用したそうです。

伊藤博文は慶応4年(1868)から明治2年(1869)まで、若干27歳で初代兵庫県知事を務めました。当時の兵庫県庁は兵庫津にあった兵庫城にありました。
博文公は大倉山から兵庫津を見ていたのでしょうか。

兵庫城跡

明治42年(1909)伊藤博文はハルビンで暗殺されます。この事件のあと、伊藤の像を建て公園を市民に開放することを条件に土地と別荘が神戸市に寄付されました。
像が建てられたのは2年後の明治44年(1911)。
供出された像を復活させようという動きもあるようです。