丹生・箱木千年家

神戸市北区山田町に「箱木千年家」と呼ばれる古い建物があります。
箱木家はもともと山田庄の地侍で、江戸時代には代々庄屋を務めたという家です。
江戸元禄時代には、すでに古い建物であることが認識されており、代官から「千年家」という屋号をもらったといいます。

神戸市の説明板には次のことが書かれていました。

  • 昭和52年、吞吐ダムの建設に伴い、元の位置から60メートル離れた位置に移築された。
  • 移築の際の調査によって、14世紀頃に建てられた「母屋」と後に建てられた「離れ座敷」を江戸時代末期に一つ屋根の下に納めた建物だったことがわかった。
  • 現存する日本最古の住宅であることが確認された。
  • 母屋と「母屋」と「離れ座敷」を建設当初の形に分離して再建した。
  • 築山、中庭、納屋、土蔵等を移築前と同じように配した。

14世紀というので、建てられたのは南北朝時代。600年以上の古さがあるということでした。

さっそく、「母屋」の中に入りました。
屋根は茅葺です。天井はありません。屋根の構造がわかります。
音声案内によると、箱木家はこの地の名家であったため、屋根を支える木の組み方にも特徴があって、しっかりした造りがされているそうです。

屋根の構造

床は板張りです。
当時、板を作るのはむつかしく、たいへん高価なものだったそうで、床に板が貼ってあるということは豊かな証拠ということでした。

板張りの床

また、床板の表面はでこぼこしています。鉋(かんな)の伝来は室町中期で、鉋がない時代は釿(ちょうな)という工具で板を作っていましたが、きれいな平面を作るのはむつかしかったようです。
柱も同様にでこぼこしていて、削ったあとが残っています。これも釿(ちょうな)で作ったので、こうなっているようです。

床板

「離れ座敷」の方は、畳やふすまがあって、なんとなく今風でした。もちろん古い建屋ですが、「母屋」とはだいぶ趣が違いました。

離れ座敷
畳やふすまがある

畳やふすま、障子などが普及するのは「母屋」ができたずっと後の時代だそうです。
長い時間をかけて、建築技術が上がって、普及していったのですね。
今から何百年か経った後、未来人が現代の家の遺構を見たら、「古い家。昔はこんなところに住んでたのだな」とか思うのでしょうか。