明石市の稲爪神社におまいりしました。
神社の前の大きな看板に「勝運の神」、「不死身の鉄人伝説の宮」とあります。
推古8年(600)、異国から黒牛に乗った鉄人が率いる大軍が攻めてきた。伊予の住人・越智益躬(おちますみ)が勅命を受けて九州へ向かい、わざと降伏し、敵を案内して明石までやってきた。
すると、天がにわかにかき曇り、雷鳴が轟き、稲妻の中に三島大明神(伊予・大山祇神社の神様)が現れ、「鉄人の弱点である足裏を射よ」と告げた。
そこで、益躬は「鬼指しの矢」でもって鉄人を射殺し、勝利を得た。
越智益躬は神に感謝し、三島大明神を勧請し、稲妻大明神と崇めた。
その後、稲妻が稲爪と変化した。
10月には「大蔵谷の牛乗り」という神事があり、顔に白粉を塗った男が弓矢をたずさえ牛に乗り、神輿に供奉するそうです。
随神門は彫物名人・左甚五郎によって作られたと伝えられています。
左甚五郎は江戸時代の彫物師で、日光東照宮の「眠り猫」、上野寛永寺「昇り龍」などが有名です。
左甚五郎は明石・和坂の生まれという伝承があります。
随神門をくぐると矢の羽の形をしたのぼりが立っています。
これは鉄人を退治した「鬼指しの矢」を意味しているのでしょうか。
拝殿は朱色がきれいです。そして注連縄が立派です。
稲爪神社を中心に兼務社八幡神社、熊野皇大神社、太寺素盞嗚神社、明石天満宮の注連縄を作り、奉納する注連縄講というものが伝統として受け継がれているそうです。
稲爪神社のしめ縄が一番大きく、長さは4m。
朱色の拝殿に奉納された注連縄がきれいです。
黒牛の鉄人以外にも、異国の敵が攻めてきたという話が伝えられています。
・敏達天皇の時代(572?〜585?)、新羅の大軍が攻めてきて明石を焼き払った。
・用明天皇の時代(585?〜587?)、何万隻もの海賊船が来襲した。
いずれも明石で敵を撃退したことになっています。
こういう話は初耳で、本当か?と思いました。