八百屋お七などが処刑された鈴ヶ森刑場。
小塚原刑場、大和田刑場とともに江戸の三大刑場とされています。
開設は慶安4年(1651)。
ここでは八百屋お七(天和3年/1683年に火炙り)、丸橋忠弥(慶安4年/1651年に磔)、天一坊(享保14年/1729年に磔)などが処刑されています。
磔の棒を立てた磔台、火あぶりの刑に使われた火焔台が残っています。
テレビなどのイメージから土台はもっと大きいのかと思っていたのですが、意外と小さいものでした。
題目供養塔という石碑は、ひげ文字で「南無妙法蓮華経」と刻まれています。
ひげ文字とは、日蓮宗で「南無妙法蓮華経」というお題目を書く書体でした。
裏面には供養塔を建立した法春比丘尼、谷口氏の名と元禄11年(1698)の年号が刻まれています。
鈴ヶ森刑場では、明治4年(1871)に閉鎖されまで数万人もの人が処刑されています。
ところが、そのうちの4割もの人が冤罪だったと鈴ヶ森刑場のそばに建つ大経寺のホームページに記されています。
ひどい話です。
無罪なのに殺された人は無念だったと思います。
鈴ヶ森刑場を訪問した日は天気が悪かったこともあって、不気味な感じがする場所でした。
ここは心霊スポットになっているようです。
亡くなった人々のご冥福を祈ります。