竹島橋を渡る・蒲郡

蒲郡の海上にある竹島。縁結びの神様八百富神社が鎮座されております。
島へは竹島橋で渡ることができます。橋の全長は387mです。

竹島と竹島橋

竹島橋は縁結びの橋と呼ばれていて、恋人や夫婦などカップルで渡る時は、① しっかり手をつないで渡る、② 相手と中央を開けない、③ 渡りきるまで振り返らない、などの決まりがあるようです。

今回は一人で、海を渡る強風に吹き飛ばされそうになりながら竹島に到着。
大きな鳥居をくぐっていくと竹島の神域です。竹島全体が八百富神社の境内となっています。

鳥居

対岸のクロマツ林に対し、竹島は暖帯性の照葉樹林から成っており、八百富神社社叢として国の天然記念物に指定されています。
陸地とはたった400mしか離れておらず、潮が引いたら橋が無くても渡れるという近い距離にあっても植生が全然違うというのが不思議です。神様のなせる業でしょうか。
橋の上では風がビュービュー吹いていましたが、ここは全く静寂です。豊かな樹林が風よけをしてくれています。

竹島に上陸

島には宇賀神社、大国神社、千歳神社、八百富神社、八大龍神社の5つの神社があります。

宇賀神社
大国神社
千歳神社
八百富神社
八大龍神社

八百富神社のご祭神は市杵島姫命(竹島弁財天)です。
厳島(広島)、竹生島(滋賀)、江の島(神奈川)とともに日本七弁天の1つとされています。
創建は養和元年(1181)と伝えられており、三河の国司となった藤原俊成卿が琵琶湖竹生島から竹を2本持ってきて、ご神体を勧請したことから始まったとされています。

海岸沿いにある藤原俊成卿の像

※ 藤原俊成
平安時代末期の公家、歌人。
千載和歌集の選者。子の藤原定家は小倉百人一首の選者。
俊成から歌を学んでいた平忠度が平家都落ちの際、自分で詠んだ歌を俊成に託し、忠度討死の後、千載和歌集にその歌を載せた。
久安元年(1145)から久安5年(1149)まで三河国司を務めた。

八大龍神社からさらに進むと龍神岬です。
龍神の松が立派です。階段を降りると、島の最南端。「天然記念物 八百富神社社叢の碑」が建っています。
ここから見る海はすてきでした。

龍神の松
島の最南端

ここから遊歩道を通って、島を半周することができます。風が強く、でこぼこもあり、海に落ちないよう注意が必要です。

遊歩道

再び、竹島橋を渡って対岸へ戻ると、「竹島八百富神社 篠津遥拝所」がありました。潮が引いたら歩いて渡れるとはいえ、いつも渡れるわけではないので、昔はここから竹島を遥拝していたのですね。
壁がないので、正面に竹島が見えます。

竹島八百富神社 篠津遥拝所
竹島が正面に見える

海辺の文学記念館

引き続いて海辺の文学記念館を訪問しました。
上品で上質でした。時間があれば抹茶とお菓子をいただきたかった。

海辺の文学記念館

実業家・滝信四郎氏は明治45年(1912)、竹島の対岸に旅館「常盤館」を建設します。この旅館はその長めの良さから評判となり、多くの文学作品にも取り上げられました。
昭和9年(1934)には蒲郡ホテルも開業。竹島対岸一帯は旅館、ホテルでたいへんにぎわったようです。
その後、戦争の影響による営業中止や米軍接収、伊勢湾台風による被害などを経て、昭和57年(1982)に常盤館は老朽化のため廃業、取り壊しになりました。

海辺の文学記念館は常盤館の文化を継承していくため、常盤館の跡地に明治末期に建設された岡本医院を復元した形で建てられました。
館内には滝信四郎氏の像、蒲郡を訪れた文人たちの色紙や本などが展示されています。

滝信四郎像
展示室

昭和9年(1934)に開業した蒲郡ホテルは天皇陛下がお泊りになるなどしていましたが、昭和55年(1980)に廃業。その後、昭和62年に蒲郡プリンスホテルとして営業再開し、現在は蒲郡クラシックホテルと改名しています。

竹島橋から見る蒲郡クラシックホテルは美しい姿をしていました。

蒲郡クラシックホテル

竹島、竹島橋、八百富神社、海辺の文学記念館など、この辺りは歴史ある文化の香りがするところでした。時間を作って再訪したい所です。