有馬温泉は日本三大名湯、日本三古泉の両方に選ばれているという温泉です。
- 日本三大名湯 有馬温泉(兵庫)、草津温泉(群馬)、下呂温泉(岐阜)
- 日本三古泉(説①) 道後温泉(愛媛)、有馬温泉(兵庫)、白浜温泉(和歌山)
- 日本三古泉(説②) 道後温泉(愛媛)、有馬温泉(兵庫)、いわき湯温泉(福島)
今回、有馬の寺田町を巡ってみました。
ここは温泉寺や念仏寺などの寺社が集まっているところで、有馬温泉の聖域のような区域です。
道端には鬼瓦が置かれていました。魔除けや邪気払いのためとのこと。
「温泉で身体の疲れを癒やし、この界隈を散策し心の静まりを得た後は、勇気凛々と世の中にうって出ましょう」とありました。
有馬温泉
温泉寺を建立したという行基上人の像の横に有馬温泉の歴史が説明されていました。
- 神代の時代、大己貴命(おおなむちのみこと)と少彦名命(すくなひこなのみこと)が、三羽のカラスが湧き出した泉で傷を癒やしているのを見つけて温泉を発見したのが始まり。
- 日本書紀に欽明天皇や孝徳天皇が御幸したとの記述があり、日本最古の温泉といわれる。
- 奈良時代に行基菩薩が温泉寺を建立した。
- 鎌倉時代に仁西上人が十二の宿坊を建てた。
- 豊臣秀吉が湯治のためにたびたび有馬を訪れ、戦乱や大火で衰微した有馬の改修を行い、湯山御殿を建てた。
- 江戸時代になって、全国でも評判の湯治場となり、有馬千軒といわれるほどに栄えた。
それにしても大己貴命(大国主命)と少彦名命は本当にいろいろなものを開発したり発見したりしています。
国づくりに大活躍をした神様コンビです。
行基像の隣には「ねがいの泉」という水飲み場がありました。
神戸芸術工科大学プロダクトデザイン学科によって葉をモチーフとしてデザインされたものです。葉をモチーフにすることは、仁西上人の伝説に由来したものでした。
大洪水によって有馬温泉が壊滅していたとき、仁西上人が夢のお告げで有馬の復興を命じられ、落景山までやってきたが、泉源の位置がわからなかった。
途方に暮れている仁西上人に、老人に姿を変えた熊野権現が葉を授け、その葉の落ちたところから温泉がこんこんと湧き始めた。
いろいろな奇蹟のおかげで、有馬は今まで続いてきたようですね。
温泉寺
神亀元年(724)に行基上人によって建立されたと伝えられています。
その後、鎌倉時代に仁西上人によって再興され、桃山時代に北政所(秀吉の正室)が復興したという寺です。
いずれも有馬に深い関わりがある人たちです。
本殿の前に2基の五輪塔があり、左は平清盛、右は慈心房尊恵の塔と伝えられています。
尊恵と平清盛には次の伝説があります。
慈心房尊恵は閻魔大王に招かれて何度もあの世へ行きました。
あるとき、清盛が行った大輪田泊での千僧供養が話題になったとき、「清盛は元三大師良源の生まれ変わりだ」と閻魔大王が尊恵に告げました。
生き返った尊恵がこのことを清盛に伝えると清盛は喜んだ。
昔は自由にこの世とあの世を行き来できた人がいたのですね。
極楽寺
推古2年(594)に聖徳太子によって建立されたという寺です。
ここに豊臣秀吉の湯山御殿が造られていたことがわかっています。
極楽寺の裏手には石垣がありました。風呂に入る秀吉を守る形になっていたのでしょう
天正17年(1589)、有馬に来た豊臣秀吉が杖で地面をつっつくと、そこから温泉が湧き出たことを記念して建てられた「豊太閤の塔」というのもありました。
ここからでた熱湯が湯山御殿に使われたのでしょうか。
湯泉神社
ご祭神は大己貴命、少彦名命、熊野久須美命の三柱で、大己貴命と少彦名命は有馬温泉を発見した神様です。
毎年1月2日に神様と行基上人、仁西上人に感謝して、有馬温泉の繁栄と安全を祈願する「入初式」が行われるそうです。
神様も僧侶も、どちらも有馬の恩人ということで、一緒に祭るのがいいですね。
念仏寺
創建は天文7年(1538)、本堂は正徳2年(1712)に再建されたもので、有馬で一番古い建物とされています。
本尊は快慶作といわれる阿弥陀如来像で、神戸13仏の寿老人の寺です。
念仏寺は北政所の別邸跡とも伝えられています。
有馬は豊臣との関係が深いですね。
北政所と秀吉
寺田町より少し下側の有馬川の「ねね橋」のところに北政所・ねねの像が建っています。
少し離れていますが、川の対岸には秀吉の像があり、2つの像は見つめ合っています。
秀吉と北政所は一緒に有馬に来たことがあるのですが、妻と旅行したという武将は珍しいように思います。浮気者の秀吉ですが、北政所・ねねを大事にしていたのでしょう。
それにしても、この北政所・ねね像は若々しくて凛としています。