銀山温泉は江戸時代初期の大銀山として栄えた「延沢銀山」の名称に由来しています。
大正末期から昭和初期に建てられた洋風木造の旅館が銀山川の両岸に建てられ、独特な景観を味わうことができます。
尾花沢市の看板などを見ると、次のような歴史があるようです。
- 康正2年(1456)の秋、加賀の国の人、儀賀市郎左衛門により銀鉱が発見されたと伝えられている。
※儀賀市郎左衛門が出羽三山詣でのため出羽国軽井沢宿で宿泊したとき、霊夢に山の神の化身の老人が現れ、銀山のある場所を告げた。市郎左衛門がその場所に行くと、黒ずんだ小石が落ちていた。その石を調べると、銀を含んだ鉱石であることがわかった。そこで、鉱山の開発を初めたと言われている。 - 延沢銀山は最上氏家臣・延沢氏の領有下にあり、慶長年間に稼行し始めた。
- 元和8年(1622)山形城主・鳥居忠政の頃より銀採掘が盛んになり、繁栄の絶頂期にあった寛永11年(1634)には幕府直轄の山として、人口二万人余りにも達したと伝えられている。
- 正保4年(1647)より産銀が減少。寛文11年(1671)頃には閉山同然となった。
- 閉山後の享保年間に銀山から湧出する温泉を利用した湯治場へと転換した。
- 大正年間の大洪水で旅籠屋が大被害を受けた。その後、史跡、景観、建造物保存に力を注ぎ、観光地を目指した開発した。
三層、四層の木造建築に、伝統の鏝絵(こてえ)を飾り、モダンな旅館を建てた。 - 銀山温泉は、「摂津有馬の温泉は、金の楯より湧き出づるゆえ、日本一の名湯であり、ここの銀山は銀の楯より湧き出づるゆえ、日本第二の名湯なり」と呼ばれる。
鏝絵は左官職人が壁を塗るこてで絵を描いたもので、高松塚古墳、法隆寺金堂の壁画にもある歴史が古い技法だそうです。
銀山川の両側に建物を見ながら歩いていくと、能登屋があります。
能登屋はスタジオジブリの「千と千尋の神隠し」の湯屋のモデルと言われている旅館です。
たしかに木造3階建てで中央に望楼がある構造がノスタルジックで、でも独特。大正モダンといった感じがします。
能登屋の創業は明治25年(1892)で、建物は国の重要文化財にも指定されています。
旅館の前にある「木戸佐左エ門」。初代・木戸佐左エ門は江戸時代に能登の国から延沢銀山へ銀を採掘に来た山師で、能登屋の主人は代々「木戸佐左エ門」を名乗り、今は17代目佐左エ門だそうです。
旅館街を抜けると滝があります。白銀の滝、籟音の滝です。白銀の滝は落差22m。迫力があります。
独特の景観が素敵な温泉街でした。