西脇黒田庄町黒田の荘厳寺を訪問しました。
黒田は黒田官兵衛生誕の地として注目されています。そして、荘厳寺にはその証拠となる黒田家の略系図が残されています。
荘厳寺は白雉年間(650〜654)に法道仙人が開基した歴史あるお寺で、ご本尊は法道仙人が自作された十一面観音菩薩です。
本堂へは持仏堂横の参道を登っていきます。参道沿いの杉木立の一帯は兵庫県環境保全地域に指定されています。
本堂は慶長十六年(1611)に再建、多宝塔は正徳五年(1715)に建立されました。
本堂、多宝塔ともに美しいです。紅葉の頃に来れば一段ときれいだろうと思いました。
参道登り口に黒田家略系図展示場への入り口があります。
黒田家初代から始まって黒田官兵衛までが略系図に記されています。
歴代の黒田城主9代と8代目城主までの正室の御霊を弔う願文として、官兵衛の母の出生地であると伝えられている比延山城主の末裔勝岡嘉作市によって、文化6(1809)年頃奉納されました。
荘厳寺パンフレット
黒田家の先祖は赤松円心の弟円光。
円光の息子 七郎重光が黒田城に拠って「黒田」姓を名乗ったのが始まりとされています。
略系図の最後に黒田官兵衛が出きます。
官兵衛は黒田家八代重隆の次男で、姫路の小寺職隆の猶子(養子)となって姫路城を守ったとされています。
黒田家は官兵衛の兄 治隆(黒田家九代目)が近隣からの攻撃を受け、黒田城が落城、黒田宗家は断絶します。
官兵衛はこの攻撃のなか、母 於松と姫路に逃げます。そして御着城主 小寺氏に仕え、小寺職隆の養子になります。
荘厳寺から黒田城があった天狗山が見えます。
官兵衛は本当にここでうまれたのでしょうか。研究が進めばいいなと思います。