赤穂市・大避神社

赤穂市坂越の大避神社にお参りしました。

大避神社は大避大明神である秦河勝を祀る神社です。
創立時期は不明ですが、秦河勝が亡くなった大化3年(647年)に秦河勝の霊を祀ったことが始まりとされています。

秦河勝について神社の入口にある看板には次のように説明されています。

秦河勝は聖徳太子死後 の皇極3(644)年9月12日に、蘇我入鹿の乱を避けて海路で坂越に漂着し、千種川の開拓を進めたのち大化 3(647)年に坂越の地で没したと言われ ています。坂越湾に浮かぶ生島(樹林は国指定天然記念物)には、秦河勝の墳墓と伝える古墳が今も残されています。

秦河勝は京都太秦に広隆寺を創建したことが知られています。また、世阿弥が書いた『風姿花伝』では猿楽の始祖とされているようです。
秦河勝が坂越に評釈したという伝承は本当かどうかわかりませんが、赤穂、相生、上郡には秦河勝を祀る神社が約30あり、秦氏がこの地域と深い関係があったことは確かなようです。

延享3年(1746)に再建された神門は、正面には随身がおられ、その裏側には仁王様がおられるという神仏習合の名残を残しています。

神門
狛犬もマスクを付けています

拝殿は延享3年(1746)に、本殿は明和6年(1769)に再建されたものです。

絵馬堂には多くの絵馬が奉納されています。多くは船に関する絵馬です。絵を展示する回廊みたいになっていて美術館のようです。

文久2年(1862)の絵馬

船渡御祭に使われた船が奉納されていました。

大避神社の祭り『坂越の船祭』は秦河勝が坂越に漂着した日を祭礼日として始まったそうです。
『坂越の船祭』は大阪天満宮の天神祭、安芸厳島神社の管絃祭とともに瀬戸内海三大船祭りで、国の重要無形民俗文化財に指定されています。一度見たいです。

船渡御祭に使われた船

祭りでは大避神社から坂越湾に浮かぶ生島まで神輿が渡御します。

生島は秦河勝の墳墓と伝えられる古墳があり、神域として人の立入が禁じられています。
生島の樹林は原始の森ということで、国の天然記念物に指定されています。

不謹慎かもしれませんが、秦河勝の古墳を見てみたいです。
大避神社はユダヤのダビデ王と関係があるという説を読んだことがあります。古墳を調べると、そういうこともはっきりするのでしょうか。
今回、大避神社にお参りさせていただいた限りでは、ユダヤとの関係があるとはまったく思えませんでした。