たつの市郷土文学資料館 霞城館を訪問しました。
霞城館ではたつの出身の4人の文学者の資料が展示されています。
- 童謡「赤とんぼ」の作者 三木露風
- 「人生論ノート」の作者、哲学者 三木清
- 反戦詩人・田園詩人 内海信之
- 「嗚呼玉杯に」の作者 矢野勘治
このあたりは歴史を感じさせる建物が残っています。
小学校のプールにも門があり、龍野小学校水練所と墨書されています。武士の気風が大切にされているようです。
霞城館を訪れたときは紅葉で、庭がきれいでした。
建物そのものは普通の建物でしたが。
内海信之
内海信之という人は知りませんでした。
龍野の詩人で、反戦の詩を作るとともに、政治運動に活躍し、犬養毅(犬養木堂)とも親交があったようです。
犬養木堂から送られた書なども展示されていました。
三木露風とも仲がよく、二人で撮った写真が展示されています。
そこに「君は海老の如く、僕は烏賊の如し」との三木露風の書もあります。
どういう意味でしょうか?
三木清
人生論ノートの著者三木清もたつの出身です。
ものすごい秀才だったそうです。
昭和20年に治安維持法で検挙され、終戦の1ヶ月後に獄中で亡くなりました。
手紙の字はちょっと個性的な形をしていて、決して上手な字ではありませんでした。
なんか、ちょっとホッとしました。
三木露風
赤とんぼの作者三木露風の展示では、多くの写真や露風の交友相手との書簡、「赤とんぼ」や「ふるさとの」の自書などが掲げられています。
露風のお父さんは放蕩児だったようですが、お母さんの碧川かたさんは夫との離婚後、再婚した相手と北海道へ移住、看護師になり、さらには婦人参政権運動をするぐらいエネルギーがあった人でした。
「ふるさとの」の詩は露風と大田小茂与という少女との恋と別れから生まれた、などのことも展示されていました。
改めて、露風は寂しがり屋でロマンチストだったのだ、と思いました。
矢野勘治
霞城館に隣接して矢野勘治記念館があり、矢野勘治が晩年を過ごした自宅だったそうです。
矢野勘治は「春欄漫」、「鳴呼玉杯」という一高寮歌(第一高等学校は現在の東京大学教養学部)を作詞しました。
大学を卒業してからは銀行に入り、ロンドン支店長になるなど経済界で活躍。
特に文学活動はしなかったようです。
建物内では「嗚呼玉杯」が放送されていて、なんか古い感じがしました。
昔はこういう歌をみんなで歌い、盛り上がっていたのでしょうね。
六甲おろしを歌うのと同じようなことかもしれません。
季節は秋で、記念館の庭の木々が紅葉していてきれいでした。