平忠度 腕塚・胴塚

平家の武将・平忠度の腕塚、胴塚が神戸市長田に残っています。
平忠度は平清盛の末弟。武勇に優れただけではなく、歌人としても名高く、藤原俊成に師事し勅撰和歌集に11首が採用されています。

平忠度は一ノ谷の戦いでは西木戸を守る大将でした。
義経の奇襲にあい、駒ヶ林を目指して逃げる途中、源氏方の岡部六弥太忠澄に追いつかれます。
二人は馬を並べて戦います。忠度が剛力で忠澄を取り押さえ、首をかこうとしたところ、主人を助けに来た忠澄の郎党に腕を切られてしまいます。
観念した忠度は静かに念仏して討たれました。
忠度を討った忠澄が箙に結びつけられた文を広げると「行きくれて木の下陰を宿とせば花や今宵の主ならまし 忠度」とあり、薩摩守忠度であることがわかりました。

腕塚

腕塚は切り落とされた忠度の腕を埋めたところと伝えられています。

腕塚
腕塚堂

胴塚

腕塚から少し離れたところに胴塚があります。

胴塚
お玉大明神やお地蔵さん
正四位下薩摩守平朝臣忠度墳

忠度の腕塚は明石市・人丸にもあります。腕塚・腕塚神社
忠度を討った岡部六弥太忠澄は忠度を供養するため所領の深谷(埼玉県)に供養塔を建てています。
平忠度は敵味方関係なく、その死を惜しまれた立派な人だったのでしょうね。