平盛俊

一ノ谷の戦いで討ち死にした平盛俊の塚と墓が神戸市長田に残っています。

平盛俊は「六、七十人して上げ下ろす船を、ただ一人しておし上げおし下ろす程の大力たり」という怪力の持ち主。平家屈指の猛将でした。

一ノ谷の戦いでは山手の侍大将として鵯越下の明泉寺に布陣。源氏を待ち構えていました。

そこへ義経が鵯越の逆落としで襲いかかります。
激戦の中、源氏の猪俣小平六則綱と一騎打ちとなります。盛俊も怪力でしたが、則綱も「八箇国に聞こえたる健者なり。鹿の角を引裂く」と言われた怪力の持ち主。
双方、組み合って闘いましたが、盛俊の力が勝り則綱を組み伏せます。
則綱は必死に命乞し、降参しました。盛俊は則綱を殺すのをやめ、泥田の縁に腰をおろします。
そこへ則綱の家来・人見四郎が近づいてきました。
人見四郎に気を奪われた盛俊。そのすきを見逃さなかった則綱。
盛俊を泥田に押し倒し、盛俊の刀を奪い、めった刺し。
盛俊は首を討たれてしまいました。

平盛俊の塚が苅藻川沿いに建てられています。
長田耕地整理組合によって大正10年(1921)に建立されました。

盛俊のお墓は山陽電鉄・板宿駅の近くにあります。
堂内には盛俊の墓があり、室町以前のものと推定されています。

盛俊堂
堂の内側

源平の戦いをみると、源氏は荒々しくギラギラして、平家は優しい印象があります。
そのへんが勝敗を分けたようにも感じました。