回向院

回向院におまいりしました。
今からおよそ360年前の明暦3年(1657年)に開かれた浄土宗の寺院です。
正式名称は諸宗山無縁寺 回向院。
諸宗山そして無縁寺。この名には深い意味がありました。

  • 明暦3年(1657)江戸大火(振袖火事)により10万人以上の人が亡くなられた。
    亡くなった人の多くは身元や身寄りがわからず、引き取り手がなかった。
  • 第四代将軍・家綱公はこのような人々を手厚く葬るため、本所両国の地に「無縁塚」を築き、その菩提を永代にわたりとむらうために念仏堂が建立された。
  • 「有縁・無縁に関わらず、人・動物に関わらず、生あるすべてのものへの仏の慈悲を説くもの」という理念のもと「諸宗山無縁寺 回向院」と名付けられた。
  • 江戸府内の無縁仏、安政大地震、関東大震災、東京大空襲の死者、海難事故の溺死者、無縁仏、刑死者、動物など、ありとあらゆる生命が埋葬供養されている。
明暦大火碑

境内にはいろいろな石碑がありました。

力塚

相撲が天保4年(1833)10月から回向院境内で年2回興行されるようになりました。
明治42年(1909)、国技館が竣工されました。

力塚は昭和11年(1936)歴代相撲年寄の慰霊のために建立されました。

ねずみ小僧の墓

寛政9年(1797)に生まれたねずみ小僧次郎吉。
文政6年(1823)に盗みを始め、文政8年(1825)土浦藩藩主・土屋彦直の屋敷に忍び込んだところ捕まります。これが一度目の逮捕です。
二度目の逮捕は天保3年(1832)。小幡藩藩主・松平忠恵の屋敷に忍び込んだところを捕まります。

武家屋敷99箇所に122回忍び込んで、約3000両の金を盗んだと記録されています。
盗みの活動期間は10年。1年に12回、武家屋敷に忍び込んだことになります。
武家屋敷は意外と無防備だったと思ってしまいます。
天保3年(1832)市中引き回しの上、小塚原刑場で斬首。

ねずみ小僧の墓石をお守りにするとツキが良くなるといわれ、墓石が削られるので。削るための石が墓の前に設けられています。

猫塚

江戸時代、かわいがってくれた主人に恩返しした猫の墓です。
実在した猫の墓ということで、江戸時代から猫を可愛がる人たちがいたのですね。

猫の恩返し(猫塚)
猫をたいへんかわいがっていた魚屋が、病気で商売ができなくなり、生活が困窮してしまいます。すると猫が、どこからともなく二両のお金をくわえてき、魚屋を助けます。
ある日、猫は姿を消し戻ってきません。ある商家で、二両くわえて逃げようとしたところを見つかり、奉公人に殴り殺されたのです。それを知った魚屋は、商家の主人に事情を話したところ、主人も猫の恩に感銘を受け、魚屋とともにその遺体を回向院に葬りました。

猫塚の説明板より

竹本義太夫の墓

竹本義太夫は江戸時代の浄瑠璃の太夫(語り)です。義太夫節という節回しの開祖。近松門左衛門の作品を多く語ったそうです。
この碑は竹本義太夫の愛好家の方が大正七年に建てた追悼墓ということです。。
本当の墓は大坂市天王寺区の超願寺にあります。

この他にもたくさんの碑、お堂があります。
江戸時代から続く、信仰の思いが詰まっているようなスポットでした。

それにしても、すべての人、生き物を供養するという考えがすばらしいですね。
これを考え、実行した徳川家綱公もすごいと思います。