江戸総鎮守・神田明神

随身門

江戸総鎮守・神田明神におまいりしました。
創建は天平2年(730)。ご祭神は大巳貴命、少彦名命、平将門命です。
2年毎に神田祭がおこなわれます。神輿練りの熱気をテレビで見たことがあります。

随身門、社殿ともに大きくて、屋根の緑と朱色の配色がきれいです。
随身門は昭和50年(1975)に昭和天皇御即位50年の記念として、社殿は昭和9年(1934)に建立されています。社殿は鉄骨鉄筋コンクリート製で、当時としては画期的な建造物だったそうです。。

社殿

境内にはたくさんの摂社、石造物がありました。

だいこく様尊像

高さ6,6メートル、重さ約30トンもある大きな石像です。石造りの像としては日本一のだいこく様ということです。

だいこく様尊像

石獅子

親獅子が子獅子を谷底に突き落とし、それを見下ろす像になっています。享保年間(1716〜1735)に創られたそうです。
獅子山の頂上にいるのが父親。谷底に落ちた子獅子を心配そうに覗き込んでいるのが母獅子。下に落ちているのが子獅子ですね。

獅子山

銭形平次碑

昔、テレビで見た銭形平次の碑です。
平次は神田明神下の台所町に住んでいた岡っ引きという設定です。平次の碑の右には手下の八五郎の碑もあります。
平次は銭を投げて悪人をやっつけるのですが、投げた銭はどうなったのか謎です。

銭形平次碑

国学発祥の碑

國學院大學のホームページには次のようなことが書かれています。

国学とは、日本の国の成り立ちを考究し、神道・伝統文化に基づく心を究明する江戸時代の学問である

万葉集を研究した賀茂真淵、古事記を研究した本居宣長の名前は知っています。
神田明神との関係は、神主家の芝崎好高が国学者の荷田春満の最初の弟子になり、国学の普及・発展につとめたことにあるようです。

国学発祥の碑

小唄作詞塚、小唄塚、千社札の碑

小唄塚は昭和31年、小唄作詞塚は昭和62年に建立されました。
神田明神でおこなわれる神田祭は江戸っ子の「粋」、「いなせ」、「勢い肌」の象徴で、江戸小唄に神田祭が取り入れられているということから建立されたようです。
「千社札の碑」は200枚以上もの千社札が刻まれた碑。
Wikiによると千社札とは「神社や仏閣に参拝を行った記念として貼る物で、自分の名前や住所を書き込んだお札のことである」でした。

左から小唄作詞塚、小唄塚碑、千社札の碑

水野年方顕彰碑

江戸末期、神田神社の氏子内神田紺屋町に生まれた浮世絵師水野年方を顕彰する碑です。
門人の育成にも優れ、この碑は弟子たちによって大正12年(1923)に建立されました。

水野年方顕彰碑

末広稲荷神社

昔から庶民信仰が篤く、霊験あらたかな出世稲荷ということでした。
社殿は東京鰹節卸商組合の有志によって建立されたそうです。

末広稲荷神社

三宿稲荷神社

祭神は宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)。
江戸時代より神田三河町二丁目の守護神として信仰されていたそうです。

三宿稲荷神社

鳳輦神輿奉安殿

奉安殿には大己貴命の「一の宮鳳輦」、少彦名命の「二の宮神輿」と神田明神大神輿が納められているようです。

鳳輦神輿奉安殿

江戸神社

大宝2年(702)に創建された江戸最古の地主神です。
立派な神輿がありました。

江戸神社
千貫神輿

大伝馬八雲神社・小舟町八雲神社

大伝馬八雲神社、小舟町八雲神社は江戸時代におこなわれていた天王祭で重要な役目を果たした神社のようです。

大伝馬八雲神社
小舟町八雲神社

魚河岸水神社

徳川家の武運長久と大量安全を祈願する神社です。説明板によると築地中央卸売市場には当神社の遙拝所が建てられているそうです。

魚河岸水神社

神社の説明板には神田祭のことが書かれています。
播州の祭りとどう違うか、一度見たいと思いました。