菅生ダムまでサイクリングの途中、二百余神社という変わった名前の神社におまいりしました。二百余神社が御鎮座されているのは姫路市夢前町護持。姫路の中心部から約20km北にあります。
神社の創建は寛和2年 (986)。播磨国司の巨智延昌が多聞寺の鎮守社として創建し、鎮守権現と呼ばれていたそうです。
巨智延昌は弥勒寺のお堂も建立しています。
「二百余」という名前は後醍醐天皇と関係がありました。
神社にある「瑞雲山多聞寺跡」の説明板には次のようにあります。
元弘3年 (1333)、後醍醐天皇が隠岐の島から御還幸の途中、鎮守社に 天神地祇十二代、神行六十四神、 播磨百七十四座を合祀され、賊軍平定、国家安穏を祈願され、多聞寺において7日護摩を修められた。
説明板より要約
寺を瑞雲山多聞護持寺。鎌倉村を護持村と勅号された。
「二百余」は合祀された神様の合計が200を超えているからでした。
また、地名の「護持」は後醍醐天皇によって名付けられたものでした。
グーグルマップに従って走っていくと、右手に古めかしい石鳥居が見えてきます。二百余神社の鳥居です。
神社はというと、グーグルマップでは更に1km 程先に行ったところが案内されます。
ところが、これが大間違い。スマホが「目的地に到着しました」と教えてくれたのはとんでもないところ。
正しくは、この鳥居をくぐって、坂を真っ直ぐ登っていくのでした。
ということで、鳥居をくぐり、坂を登ると、たくさんの牛が出迎えてくれました。
と、いうより不審者が来た!という感じで、睨まれました。
ここは井寄牧場と言って黒毛和牛の高級ブランドの牛を育てられている牧場でした。
社殿の奥の方に小さな薬師堂があります。
その中に、薬師如来と大日如来がおられます。薬師如来像は多聞寺に祀られていたものと伝わっており、室町時代の作のようです。
薬師如来様は力強い表情をされているように思いました。
それにしても、この神社、この地域が後醍醐天皇と関係があるとは思いもよりませんでした。