加東市滝野・光明寺
加東市、五峰山にある光明寺は推古天皇2年(594)に法道仙人によって開創されたと伝わる歴史のあるお寺です。平安初期には慈覚大師円仁が訪れたともいわれています。観応2年(1351)に光明寺を舞台に足利尊氏・高師直と足利直義...
加東市、五峰山にある光明寺は推古天皇2年(594)に法道仙人によって開創されたと伝わる歴史のあるお寺です。平安初期には慈覚大師円仁が訪れたともいわれています。観応2年(1351)に光明寺を舞台に足利尊氏・高師直と足利直義...
平清盛が福原遷都を挙行したとき、後白河上皇を幽閉したという萱の御所跡がある薬仙寺。天平年間(729〜748)に行基が開山したと伝えられています。 この地は奈良時代行基菩薩が開いたと傳えられる大和田の湊に接し平安時代にはた...
菅生ダムまでサイクリングの途中、二百余神社という変わった名前の神社におまいりしました。二百余神社が御鎮座されているのは姫路市夢前町護持。姫路の中心部から約20km北にあります。 神社の創建は寛和2年 (986)。播磨国司...
織田信長が最大のピンチに陥った金ヶ崎の退き口の舞台、金ヶ崎城を訪れました。 金ヶ崎の退き口元亀元年(1570)4月20日、織田信長は越前の朝倉義景を攻めるため京を出陣。26日、金ヶ崎城を落とす。越前に攻め込もうとしたとき...
太平記の忠臣・児島範長(和田範長)にまつわる遺跡が高砂市に残っています。 延元元年(1336)、足利尊氏が大軍を率いて九州から京を目指して攻め上がりました。官軍側の備後守・児島範長(和田範長)、児島高徳らは本隊に合流すべ...
赤穂市坂越に南朝の忠臣・児島高徳の墓があります。 児島高徳は南朝の忠臣。後醍醐天皇が隠岐島へ護送されていく途中、院ノ庄(岡山県津山市)で宿所に忍び入り、桜の木に10字の漢詩「天莫空勾践 時非無范蠡」を刻んだことが知られて...
太平記に塩冶高貞(えんやたかさだ)という武将とその妻のエピソードがあります。 塩冶高貞は後醍醐天皇の倒幕の挙兵に応じ、鎌倉幕府との戦いで活躍した。そして、その恩賞として宮中の美人を賜り、妻(早田夫人)とした。ところが、足...
香寺にサイクリングしたときに親王塚を見つけました。 説明の看板には以下のように書かれています。 後醍醐天皇第三皇子 護良親王の御子陸良親王の塚と伝えられている。親王は観応の擾乱に赤松則祐に報じられて弥高山城(姫路市砥堀)...