岡山県吉尾・八百屋お七の墓

なぜ岡山県に八百屋お七の墓があるのか?
Googleマップに「八百屋お七の墓」とでています。

場所は岡山市北区の御津吉尾地区。
県内有数のぶどうの産地。縄文時代の土器が出土するという歴史のある地域です。

小高い丘の上に八百屋お七の看板が見えます。

八百屋お七の看板

看板の奥の方に小さな小屋があり、その中にお七と吉三郎の墓がありました。
左の三角形のものがお七、右の長方形のものが吉三郎のお墓です。 

お七と吉三郎の墓
三角形がお七、長方形が吉三郎の墓

天和3年、17歳で火あぶりの刑に処せられたというお七のストーリーは、井原西鶴の『好色五人女』では次のようになっています。

天和2年(1682)の大火で焼け出されたお七一家は寺へ避難。そこで吉三郎と出会い恋に落ちる。お七一家が寺を引き払ったあとも、吉三郎への思いは消えない。
もう一度、火事になれば吉三郎に会えるのではないかと考え、家に火をつけてしまう。
幸い、火はすぐに消し止められたが、放火の罪でお七は捕らえ、火あぶりの刑に処せられた。

お七については記録がはっきりせず、上の話以外にも歌舞伎などでさまざまなバリエーションがあるようです。

吉尾では次の話になっています。

大火で焼け出されたお七一家は寺に避難。そこでお七は寺小姓の生田庄之助と恋に落ちる。寺を出たあとも庄之助に恋い焦がれるお七に対して、吉三郎が「火をつけたら恋人に会える」と入れ知恵をする。お七は自分の家に火を付けてしまい、放火の罪で鈴ケ森で火あぶりの刑になる。
吉三郎はこのことを悔い、お七の分骨を持って諸国を行脚し、この地で没した。
村人はお七の分骨とともに手厚く葬った。

吉尾の話が本当かどうかはわかりませんが、これの元になる話があったのでしょう。
供養の墓を建てた村人たちは優しいなと思います。