安産の神・三石神社

神戸市和田岬にある三石神社は安産の神様で、神功皇后をおまつりしています。

拝殿前には「神宮皇后像」と「幼き応神天皇を抱いた武内宿禰像」があります。
2つの像は一体のものかと思っていたら、作られた時期は異なっていて、別々に作られたものでした。
神功皇后は若々しく、ボーイッシュなお顔をしておられます。

「神宮皇后像」「幼き応神天皇を抱いた武内宿禰像」

境内には「三石の遺跡」というものがあります。

拝殿
三石の遺跡

「三石の遺跡」についてはいろいろなエピソードが伝えられています。

  • 御祭神の神功皇后(西暦200年)が三つの石をもって安産を祈られたところ。
  • 神功皇后が三韓征伐の帰りに、船が進まなくなった際、和田岬に上陸し、3つの石を立てて神占した。
    (大阪の住吉神社、神戸の生田神社と長田神社、西宮の廣田神社はこのときの神占によって創建されたと伝えられています)
  • 推古天皇が実賊退治のため和田岬に来られたとき(602年)、ミソギして戦勝を祈られた場所を祓殿塚といい、玉座とされた石を三石という。
  • 天平年間(729〜749)、行基が大輪田の泊を建設した際、神功皇后の神霊が現れ、往来の船を守らんと仰せられたため、祓殿跡に祠を建てた。
  • 平安時代の末期、西宮えびす神社、廣田神社、南宮神社の神輿三基が和田岬まで御神幸されたとき、神輿を三石神社の三つ石の上に置いた。

このあたりには特別に神威を感させる石・岩があったのかもしれません。
現在、西宮神社では9月に渡御祭として、和田岬まで船渡御し、和田神社、三石神社、真光寺、柳原蛭子神社に参拝するお祭りを行っているようです。

境内には他にも、信仰の対象・石造物に凹穴(盃状穴)を加工したという石や、「安産ご神徳」由来の碑があります。

盃状穴
「安産ご神徳」由来の碑

「安産ご神徳」由来の碑は神港助産婦会が昭和3年に手水舎を建立奉納したものです。
三石神社のご祭神・神功皇后から安産の神とみなされてきました。

三石神社では、神功皇后が応神天皇をご懐妊された際、当地の三つの石を身に付けて安産を祈願したという故事から、三つの石が入った「祈石」が安産御守とされていて、平成13年には皇太子妃雅子殿下のご安産ご祈念の腹帯・お守り・三石安産祈石などをお届けしたそうです。

三石神社は、お隣りにある和田神社に比べると小さい神社ですが、重要な役割を果たしてきた神社でした。