那須与一公墓所

神戸市須磨区妙法寺に那須与一の墓があります。
那須与一は屋島の戦いで、平家の船に掲げられた扇を射抜いた若武者です。
戦勝のお礼参りにこの地を訪れた際、病によって亡くなったと伝えられています。

墓所の名は碧雲寺宗照院。お墓におまいりすると年をとってもシモの世話にならないという言い伝えがあります。

碧雲寺宗照院

那須与一については確かな資料があまり残っておらず、詳しいことはわからないようですが、屋島で的を射抜いたのは17歳のとき。亡くなられたのは20歳ぐらいと言われています。

墓所内部 毎月7日に開門される

道を挟んだ向かいの山側に与一を祀った那須神社、与一が信仰した北向八幡神社があるということを知り、行ってみました。

北向八幡神社への参道
北向神社石の鳥居

一ノ谷の合戦の時(寿永3年/1184年)、村人から御神威が高く、鳥さえも社殿の上を避けて飛ぶ社があると聞いた源義経は那須与一に戦勝祈願の代参を命じます。与一は当社に参じ、主君義経の武運長久を祈念すると共に、己の守護神としても崇めました。
与一がお礼参りに来たのは、この北向八幡神社でした。

北向八幡神社

ご祭神は応神天皇、天照大神、春日大神の三柱。出雲大社への敬意から北向きに建てられたと伝えられています。

境内には与一をお祀りする那須神社がありました。大正10年(1921)ごろに勧請されたそうです。

与一を祀る那須神社

境内には建武4年(1337)に作られた「いぼ薬師」という石仏もまつられています。
いぼ封じのご利益があると伝えられています。

いぼ薬師のお堂
いぼ薬師

与一は最期に訪れたこの地で、中風を発症。村人の懸命な看護もむなしく亡くなりました。中風の後遺症で半身不随になった与一は村人からシモの世話を受けたといいます。
そして、遺言として「村人がこのような病を患わぬように見守っている」という言葉を残したそうです。
このエピソードが与一の墓におまいりするとシモの世話にならないという話につながっていました。与一公は村人に感謝する優しい武人でした。