新宿・成覚寺

成覚寺

新宿にある成覚寺は江戸時代、内藤新宿の飯森女の投げ込み寺だったという歴史を持つ、文禄3年(1594)に創建された浄土宗の寺です。

成覚寺

今は大都会の新宿は、元禄12年(1699)に誕生した宿場町、内藤新宿が発展したものです。
内藤新宿の名は「内藤家屋敷地前にできた新しい宿」を意味しています。内藤氏は平将門を討ち取った藤原秀郷の末孫で、家康の関東移封に先立ち、甲州街道と鎌倉街道の交差点となっていた現在の新宿二丁目あたりに陣屋がありました。

内藤新宿は日本橋から約2里の甲州街道の宿場町。岡場所としても繫栄し、売春を生業とするたくさんの飯森女がいました。
新宿区教育委員会の説明版によると、飯森女の抱えは人身売買であり、抱えられるときの契約は年季奉公で年季中に死ぬと成覚寺に投げ込まれた、ということです。

飯森女は子供と呼ばれており、彼女らを弔う子供合埋碑という碑が建っています。
碑が建てられたのは万延元年(1860)。内藤新宿では2,200名もの飯森女(遊女)が亡くなったそうです。

子供合埋碑

成覚寺には旭地蔵という18名の戒名が刻まれたお地蔵さまもおられます。このお地蔵さまも遊郭と関係があるようです。
旭地蔵に刻まれた18名は寛政12年(1800)から文化10年(1814)の間に宿場内で不慮の死を遂げた人達で、そのうちの7組の男女は心中した遊女とその客と考えられています。
14年間で7組の心中事件があったとは。心中事件は多かったようです。

旭地蔵

大都会の新宿にも、こういう時代があったのですね。