平家落人伝説の里・上郡小野豆

平家ふれあい公園

平家落人伝説が伝えられている上郡町小野豆。
今回、相生からサイクリングで小野豆を目指しました。
すごくたいへんでした。

相生から国道2号線を通り、県道44号線で北上。姫路上郡線に突き当たります。
この辺までは割と平坦で走りやすかった。
そこから西へ走ると椿峠。ここのアップダウンが結構きつい。
でも本当の激坂はこれからでした。
小野豆へ行く450号線(野桑有年停車場線)へ入ります。
始めは良かったんです。ところが途中から。。。。
私には登れる坂ではありませんでした。
自転車を押して上がるのもギブアップ。
途中で自転車を置き、ハアハアしながら、熱中症の恐怖と戦いながら登りました。

すると集落が現れました。
こんなところに!と思いました。標高は約300m。10数軒の家が建っています。
ここが目的地の小野豆集落でした。

寿永四年(1185)壇ノ浦の合戦に敗れた平家。
平清盛の弟 平経盛が4人の家来と共にこの地に落ち延びてきたと言い伝えられています。

壇ノ浦で生き残った平経盛は家来と供に源氏の目を逃れ、小舟で瀬戸内海の東方を目指しました。
さまよったあげくに、相生の浦に上陸。人目を避けながら小野豆にたどり着き、洞窟を見つけて生活を始めます。
一方、源氏の武士も平家の残党を血眼になって探していました。
あるとき、源氏の追手が小野豆にもやってきました。でも何も見つかりません。
帰ろうとしたとき、茄子のヘタが流れてくるのを見つけました。
鶏の鳴き声も聞こえました。
人が住んでいるに違いない。探せ!
とうとう経盛たちは見つかってしまいました。
死を覚悟した経盛。家来の命と引き換えに自害して果てました。
残された家臣たちは経盛を相生の浦や屋島を眺望できる見晴らしの良い場所に葬り、主を供養しつつ小野豆の里に住み着きました。
そして、経盛が見つかるきっかけとなった茄子や鶏を育てたり飼ったりしなかったといいます。

平経盛たちが住んだというジャンジャン穴です。人が住むにはちょっと小さい。経盛たちが来たときはもっと大きな穴が開いていたのかもしれません。
名前の由来は、穴に向かって声をかければ、「ジャンジャン」という反響が返ってくるからだそうです。やってみましたが、残念ながら反響はありませんでした。

ジャンジャン穴

ジャンジャン穴の上方の平家ふれあい公園に平経盛を供養する平家塚があります。

平家塚

平経盛は一の谷の戦いで熊谷直実に討たれた平敦盛の父親でもあります。
さらに長男・経正、次男・経俊も戦死。源氏によって一家がめちゃくちゃにされています。
源氏との戦がなければ、都で貴族でいられたのに。
まさに諸行無常です。
でも、平経盛が自害してから何百年も供養し続け、茄子を作らず、鶏を飼わなかった村人たち。ずっと変わらずにいてあげたのですね。