サムハラ神社

サムハラ神社

大阪でも最強のパワースポットといわれるサムハラ神社。
ご祭神は造化三神といわれる天之御中主神、高皇産霊神、神皇産霊神の神々です。
「サムハラ」は下の画像にある文字を書くのですが、漢字変換には出てきません。
この文字は「神の文字」と言われているようです。

神社入り口の「サムハラ」神社の文字

鳥居の周りや境内には氏名や社名が書かれたたくさんの提灯がぶら下がっています。
サムハラ神社の人気がうかがえます。
また、浜木綿子さんが舞台から落下してもサムハラのお守りを付けていたおかげで怪我一つせずに済んだなど、神徳を示す話が神社の塀に示されていました。

境内の中に胸像がありました。
田中富三郎氏の像です。
神社入り口の看板には奥の院は美作加茂と書かれているように、田中氏が故郷の岡山県美作加茂の古い祠を再興したことがサムハラ神社設立のきっかけとされ、津山市加茂町に奥の院があります。JR因美線で最寄駅は「美作加茂」です。

田中氏は日清・日露戦争で数々の危難にあわれたがサムハラの神のおかげで無事だったので、この神徳を皆に分け与えたいとして神社を興されたようです。

田中富三郎氏

「サムハラ」という言葉は田中氏が作った造語かと思いましたが違っていました。
国立歴史民俗博物館の学術情報リポジトリの「サムハラ信仰についての研究」より、サムハラ信仰が盛んになっていった経緯がわかりました。

  • 江戸時代にはすでにサムハラ信仰が生まれており、怪我除け、虫除け、地震除けなど様々な用途で使われていた。
  • 明治時代以降、日清・日露戦争や太平洋戦争では弾丸除けの護符として活躍した。
     「サムハラ」護符が日清戦争で数十万枚配られた。
     千人針にもサムハラ文字が描かれたものがある。
  • 田中富三郎氏の活動により全国的に普及した。
     田中富三郎氏はサムハラ信光会を作り、昭和10年(1935)には加茂にサムハラ聖殿を作ったが宗教法人違反で取り締まら、聖殿は撤去させられた。
    戦後、昭和24年にサムハラ神社を創建し、昭和37年に現在地に遷座した。
  • 京都府南区にある鎌達稲荷神社でもサムハラの御札を頒布している。

サムハラ様は急に出現した神様ではなく、長い時間をかけて育ってきた信仰でした。

それにしても、サムハラ神社は不思議な雰囲気がある神社です。
津山市加茂にある奥の院にも行ってみたいと思いました。