上野を歩く その4(両大師〜寛永寺)

西郷隆盛像から不忍池弁天堂、清水観音堂、五條天神社、花園稲荷、上野大仏、お化け灯籠、上野東照宮と歩いてきて、最後の目標地である寛永寺に向かう道は、遠回りになりますが両大師を通るルートにしました。

両大師

両大師は天海大僧正が亡くなった1年後の正保元年(1644)に開山堂として創建されました。
慈眼大師・天海大僧正と慈慧大師・良源大僧正がおまつりされています。

慈慧大師・良源大僧正(912〜985)は平安時代の僧侶で比叡山中興の祖とされ、天海大僧正が崇敬した僧侶です。
寛永寺に慈慧大師のお姿をおまつりし三代将軍家光公の世嗣安産を祈願すると、四代将軍となった家綱公がお生まれになったため子授け大師とも呼ばれました。
霊力に優れた良源大僧正の姿を護符にした角大師という魔除けが信仰されています。
角大師のデザインは非常に印象的。一度見たら忘れられません。ずっと昔にこのようなデザインができたとは。自由ですね。

両大師堂
角大師 ユニークなデザイン!

寛永寺旧本坊表門は寛永年間(1624〜43)に建てられました。
彰義隊との上野戦争で本坊は焼失しましたが表門は残りました。
扉には弾痕の跡が残り、大きな穴があいています。

寛永寺旧本坊表門
穴のあいた扉

徳川将軍家霊廟

寛永寺には徳川将軍の霊廟もあります。
寛永寺ができた当初は徳川家の菩提寺は増上寺で、寛永寺は祈祷寺とされていましたが、四代家綱公の頃から寛永寺に葬られる将軍が現れます。

徳川将軍家の霊廟は日光、増上寺、寛永寺の3箇所あり、それぞれに以下の示す将軍が埋葬されています。
日光山:初代家康、三代家光
増上寺:二代秀忠、六代家宣、七代家継、九代家重、十二代家慶、十四代家茂
寛永寺:四代家綱、五代綱吉、八代吉宗、十代家治、十一代家斉、十三代家定
第十五代の慶喜公の墓は上の3箇所ではなく谷中霊園にあります。

徳川綱吉公霊廟の勅額門
徳川綱吉公霊廟

寛永寺

寛永寺根本中堂

寛永寺根本中堂は元禄11年(1698)に建立されました。しかし、彰義隊との上野戦争で消失したため、新たな根本中堂として埼玉県川越市の喜多院の本地堂が移築されました。
この日はたくさんの人が訪れていました。

また、境内にはいろいろな石造物があります。

上野戦争碑

碑文の元になる文章は彰義隊の一員だった阿部弘蔵が書いたが、明治政府により大幅に変更されているそうです。
江戸時代の寛永寺は上野公園やその周辺一帯に広がる日本最大の寺でした。
上野戦争によってその大半が焼失。明治政府によって境内も大幅に縮小され、現在の敷地面積は3万坪。江戸時代はその10倍ほどの大きさだったようです。

上野戦争碑

了翁禅師

了翁禅師は出羽(秋田県)出身の僧です。薬の調合方法を夢に見て、それを「錦袋円」と名付けて売り出したところ大ヒット。その利益で勧学寮という学問所を建設しました。

了翁禅師
了翁禅寺塔碑

虫塚

伊勢長島藩主の増山雪斎が虫類写生図譜「虫豸帖(ちゅうちじょう)」の作画に使った虫類の霊をなぐさめるため建てられました(文政4年/1822)。
お殿様が虫を捕まえ、絵を書いて図鑑を作るのも楽しそうですが、捕まえた虫の霊を慰めるなんて。
すばらしいですね。

虫塚

JR上野駅を出て、西郷隆盛像から寛永寺まで。いろいろ見ました。
でも、上野公園には美術館や博物館など、他にもたくさんの見所があります。
今日はさすがに疲れたので、また次の機会に楽しみたいと思います。