京都嵐山・千光寺

嵐山・渡月橋から保津川沿いを歩いて約15分。千光寺への入口にたどり着きます。
ここから標高382メートルの嵐山の中腹にある千光寺まで登っていきます。

つづら折りの急坂を登ること約10分。山門に到着です。
もっと歩くのかと思っていたのですが、意外と近かったです。

見上げると舞台作りの大悲閣。鐘楼には大きな鐘がぶら下がっています。
自由に鐘をついてもよいということなので、さっそくついてみました(3回目で無料とのこと)。
時刻は朝の9時。自分の他には観光客はいませんでした。
きれいな音が保津峡に響きました。

大悲閣
3回まで無料でつける

千光寺は京都の水運を開いた角倉了以によって創建されました。 角倉了以は海外貿易も行った江戸時代初期の京都の商人です。 保津川、鴨川、富士川、天竜川など、多くの河川の土木工事を行い、水運を開きました。

桜の名所にもなっている先斗町の木屋町通りを流れる高瀬川も了以によって造られた川です。
水深は数十センチと浅く、底が平らな高瀬舟が使われました。

桜の高瀬川

本堂に角倉了以の像が安置されています。 片膝を立てて石割斧を持った意思の強そうなお顔をされています。こういう迫力ある人物だったからこそ、多くの土木事業を成し遂げたのでしょう。

角倉了以は大堰川開削工事で命を失った人を慰めるため、嵯峨中院にあった千光寺を現在地に移し、隠居します(慶長19年/1614年)。「大悲閣」の名は菩薩の大きな慈悲から名付けられました。

角倉了以像

千光寺ではもう一人の人物がクローズアップされています。 それは中国の首相であった周恩来です。 毛沢東主席のもとで、文化大革命などの嵐を乗り越え、建国の1949年から亡くなる1976年まで首相を務めました。 周恩来は日本に留学したことがあり、嵐山を訪れて詩を2つ作ったそうです。 一つは「雨中嵐山」という詩で嵐山公園に詩碑があります。もう一つが「雨後嵐山」で千光寺に詩碑が設置されています。

「雨後嵐山」の詩碑

千光寺は大きいわけでもなく、立派な建物があるわけでもなく、さらに渡月橋からも歩いて遠いところにありますが、海外の観光客の人気が高いようです。
渡月橋から保津川を遡って船で来る観光客もいるようです。
それも楽しいのでしょうね。