湯島聖堂
東京文京区にある湯島聖堂を訪問しました。 元禄3年(1690)徳川5代将軍・綱吉が湯島聖堂を創建。自ら論語の講釈を行うなど学問を奨励します。「生類憐みの令」でちょっとバカではないかと思われる綱吉ですが、実際には戦国時代の...
東京文京区にある湯島聖堂を訪問しました。 元禄3年(1690)徳川5代将軍・綱吉が湯島聖堂を創建。自ら論語の講釈を行うなど学問を奨励します。「生類憐みの令」でちょっとバカではないかと思われる綱吉ですが、実際には戦国時代の...
関ヶ原の隣の垂井町岩手に竹中半兵衛ゆかりの竹中陣屋跡があります。 垂井町岩手は竹中氏の本拠地で、陣屋を構えたのは半兵衛の子、竹中重門です。重門は関ヶ原の戦いでは東軍に味方し、戦後は徳川家の旗本として仕え、竹中家は明治維新...
仁寿山黌は姫路酒井家家老・河合道臣(寸翁)が建てた私塾です。 文政四年(1821)藩政改革の功績により藩主酒井忠実から幡下山(はたしたやま)を与えられ、仁寿山黌の建設を開始し、翌文政五年(1822)に仁寿山黌は完成してい...
高砂にある申義堂は町民子弟の教育の場として設けられた学問所です。高砂町大年寄 岸本吉兵衛の願いを聞き入れ、姫路藩 家老の河合寸翁が設立を建議しました。藩と民間が費用を出し合って申義堂は運営されました。「申義」の意味は義を...
敬業館は寛政六年(1794)林田藩7代目藩主・建部政賢によって建てられた藩校です。兵庫県内で藩校の建物が残っているのは敬業館だけです。聖廟・講堂・練武場・文庫などの建物があったといいますが、現在残っているのは講堂です。昭...
河野鉄兜(文政八年/1826〜慶応三年/1867)は江戸末期の漢詩人、学者。姫路の網干出身です。 鉄兜は文政八年(1825)、揖保郡網干余子浜垣内のこの地に生まれる。名は維羆。字は夢吉。通称俊蔵。本性は越智氏。鉄兜という...