上野の森美術館でゴッホ展が開催されました。
数々の名画が展示されています。
ジャガイモを食べる人々
展示されていたのはリトグラフだった。
ゴッホの初期の頃の絵は暗くて色が少ない。
フランスに行ってからは色が増えてくる。じゃがいもの時はまだまだ暗い。
サンレミ療養院の庭
植物の生命感があふれていた。サンレミは南仏アルルに行った後だ。
この展示会の一番の目玉は「糸杉」。
ウネウネしている線が感情を表しているように思う。
1889年、サンレミで描かれました。
ゴッホの人生を年表にしてみました。
パスカル・ボナフー著の「ゴッホ」を参考にしています。
1853年 | オランダで生まれる。父テオドルスは牧師。 フィンセントは勝利者という意味。 |
1857年 | 弟テオドルスが生まれる。 |
1869年 | 16歳でグービル商会(画商)に入社。ハーグ支店で働き始める。 グービル商会では熱心働き、将来を期待される。 |
1872年 | 弟テオもグービル商会で働くようになる。 テオはブリュッセル支店。 |
1873年 | フィンセントはロンドン支店に栄転。イギリス絵画に触れる。 大失恋。仕事にやる気をなくし、不良社員になってしまう。 |
1875年 | パリ支店に転勤。勤務態度は変わらず。宗教に惹かれていく。 |
1876年 | グービル商会を解雇される。教会で初めて説教を行う。 オランダの両親の元に帰る。 |
1877年 | アムステルダムで神学大学への受験勉強を開始する。 |
1878年 | 神学大学への受験勉強に挫折。 ブリュッセルの伝道師養成学校に入学。 |
1879年 | 伝道師に任命され熱狂的に働く。 6か月の見習い期間後、解任される。 |
1880年 | 画家になることを決意。 |
1881年 | 絵画の指導を受ける。 |
1882年 | 娼婦シーンと暮らす。 シーンが出産(父はフィンセントではない) |
1883年 | シーンと別れる。 |
1884年 | 父の赴任先ヌエネンに移る。 |
1885年 | 父テオドルス死去。農民を描くことを決意する。 |
1886年 | パリに出、テオドルスと一緒に暮らし始める。 タンギー爺さん、ゴーギャンたちと出会う。 印象派の技術を取り入れていく。 |
1888年 | アルルに旅立つ。郵便夫ルーランと友達になる。 ゴーギャンと共同生活を始めるが、2か月で破局。 耳切り事件を起こし、病院に収容される。 |
1889年 | アルルから離れ、サンレミの精神病院に入院。 |
1890年 | 「20世紀の会」に出展した絵が売れる。正式に売れた最初で最後の絵。 |
5月 | パリに行きテオとその家族に会う。 テオの子供の名はフィンセント。 オーヴェルに移る。 |
7月 | ピストルで自殺する。 |
1891年 | テオ死去。 |
ゴッホはあまりに純粋で、妥協することができなかった人だ。
思い込んだら、周りも見えず、自分も見えず、一生懸命、すべてをささげてしまう。
損得考えずにがんばってしまう。
だけど、いつも上手くいかない。
テオは、そんなお兄さんが心配だっただろうし、好きだったんだろうと思います。