高砂神社

高砂神社に初詣しました。
「高砂や この浦舟に 帆を上げて」の高砂神社です。

初詣で賑わっている拝殿

縁結び、和合長寿の御神徳と仰がれる尉(じょう)と姥(うば)をお祀りしている尉姥神社があります。

「高砂」という謡曲があります。
阿蘇の神主友成が高砂の浦に立ち寄った際、相生の松の精である尉と姥に会います。高砂の松と住吉の松とは相生の松。離れていても夫婦であると話します。尉は住吉の松の精、姥は高砂の松の精と打ち明け、尉は「住吉で待つ」と言って消えます。
友成が浦舟で住吉につくと、尉が住吉明神となって現れ、平和な御代を祝って舞います。

尉姥神社

高砂の物語は魚住の住吉神社も関係しています。

相生の松 
相生松とは根が1つで雌雄の幹が2つに分かれている松のことです。

今は五代目相生松 まだまだ若い感じがします。雌雄の松が しっかり 抱き合っています。

五代目相生松
抱き合う雌雄の松

初代相生の松は、神功皇后が新羅征伐の帰途、この地に大己貴命(おおなむちのみこと)をお祭りしたときに生えたと言われています。今から千年以上前の天禄年間(970〜972)に枯れたとされています。
二代目は羽柴秀吉による三木城攻め(天正六年〜八年 / 1578〜1580年)の際、毛利輝元の家来・児玉内蔵丞が切り倒して篝火にしたそうです。戦であったとはいえ、ひどい。
三代目は姫路藩主・本多忠政が元和年間(1615〜1623)に播州印南郡福井村で発見した松を高砂神社に移植したものです。この三代目相生の松は大正十三年に天然記念物に指定されますが、昭和十二年に枯れました。今は霊松殿に保存されています。

三代目相生松

四代目は昭和十一年に播州を襲ったマツクイムシによって枯れました。

楼門を入ったところには 「いぶき」という神木があります。


樹齢千年を超える、御神木いぶき。阿蘇の神主友成が上京途中に高砂の浦に立ち寄り、その時友成が杖にしていた木を地面につきさしていたところ芽をふき、現在の「神木いぶき」として境内にその姿をとどめている。

高砂神社のホームページより

樹齢千年とはすごいです。

江戸時代初期、ここに高砂城がありました。

境内には工楽松右衛門の像があります。


※工楽松左衛門
現在の兵庫県高砂市に生まれ、42歳で帆布を発明。この帆布により日本の海運技術が飛躍的に向上した。
築港工事法を考案して、択捉島の埠頭や箱館のドックを築造した。
これらの業績によって、幕府より「工事を楽しむ」「工夫を楽しむ」という意味の「工楽」の姓をたまわった。

楽松右衛門像

高砂神社はいろいろな物語が詰まった神社でした。