室津を訪問しました。
室津は播磨風土記に「この泊まり、風を防ぐこと室のごとし。」と記されていて、古くから栄えた港です。室津の名は「風を防ぐこと室のごとし」からつけられました。
奈良時代には行基によって摂播五泊が定められたとき、その一つに選ばれています。
江戸時代、参勤交代で西国大名は瀬戸内海を船で行き来していました。
室津は多くの大名が上陸または乗船する港でした。
長崎にいたオランダ商館長が江戸参府するとき、朝鮮通信使が江戸への行き帰りの際にも寄港しています。
国道250号線の脇に「室津の街並」という石碑があります。ここから、細い坂道を下っていくと室津の町に入っていきます。
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清十郎生家跡の石碑
お夏清十郎で知られる清十郎は室津の造り酒屋 和泉清左衛門の息子。金持ちのボンボンでイケメン。室津の町でモテまくり、放蕩を繰り返し、姫路 但馬屋に務めることになり、お夏と恋仲になります。
ということで、清十郎は室津出身。生家跡の石碑があります。
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姫路藩御茶屋跡
姫路藩御茶屋は朝鮮通信使宿舎に使われました。
石碑の屏風図から、賑わっていたことが想像できます。
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見性寺
1000年前、書写山の開基 性空上人がここに正法寺を建てられました。
その後、正法寺は衰滅。
弘安六年(1283)見性寺として再興されます。
鎌倉時代末期、足利尊氏が見性寺を訪れ、赤松則村と倒幕の計画を練ったとの話が残っています。
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寺宝の毘沙門天像は国の重要文化財に指定されています。
お寺の説明看板では「約1000年前、室津の海中より夜な夜な光輝を発し現れる。」と記されています。
像は3月17日から21日の毘沙門祭と室之津祭当日に公開されるそうです。
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室津民俗館、海駅館
室津民俗館、海駅館はどちらも江戸時代の豪商の屋敷跡を利用しています。
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参勤交代で訪れた大名、朝鮮通信使に提供した料理が展示されていました。
今の自分達のほうが美味しものを食べていると思いました。
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浄運寺
浄運寺は文治元年(1185)に建立されたと伝えられています。
浄運寺は法然上人と遊女友君にまつわる話があり、友君の墓があります。
友君は木曽義仲の側室で山吹御前として平家物語に出てきます。
木曽義仲は源義経に負け、京の都を追われ逃走。二人は離れ離れになります。
義仲の子を身ごもっていた山吹御前は世をはかなんで死を覚悟して浪速の海に漕ぎ出しました。
船は室津に漂着。
子は死産でした。その後は友君と名を変え、遊女となります。
建永2年(1207)法然上人が讃岐へ配流されたとき、室津に立ち寄ります。
法然上人は自分の罪の深さに苦しんでいた友君に説教を施します。
教えに目覚めた友君は得度・出家し、念仏往生をとげました。
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法然上人 貝掘の井戸
室津に滞在中の法然上人が飲水で困っている室津の人々のために、海辺の貝で掘ったという言い伝えが残っています。
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大阪城の石
大阪城の石垣に使うつもりであった石が、室津で海中に落としてしまった石、と伝えられています。
昭和四十七年の室津漁港修築工事のときに引き上げられました。
すごく大きい石です。現代のような重機がない時代に、こんな石を運んでいたのはすごいと思います。
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賀茂神社
賀茂神社の御祭神は賀茂別雷命(カモワケイカヅチノミコト)、建速須佐之男命(タケハヤスサノオノミコト)、菅原道真命です。
治承四年(1180)、平清盛が高倉上皇と厳島詣での途中、参拝したことが記録に残っています。
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賀茂神社は本殿と拝殿が向かい合わせに建てられていて、こういう形式をとび拝殿と呼ぶそうです。
本殿は国の重要文化財に指定されています。
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二本の榊の木が神の強いお力によって途中から一本に結ばれている「愛の榊(さかき)」があります。夫婦の絆、良縁に御神徳があるそうです。
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室津漁港
室津にはいろいろな見どころがありますが、やっぱり海が一番と思いました。
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