村上帝社

山電須磨駅の隣に村上帝社があります。

平安時代の末期、琵琶の名人であった太政大臣 藤原師長(1132〜1192)は、さらに奥義を極めたいと入唐の志を持って接めたいと入唐の志をもってこの地まで来ました。

ところが、村上天皇(第62代天皇926〜967)と梨壺女御の神霊が現れ琵琶の妙手を授けたので、入唐を思いとどまり帰京したと言われています。

この伝説は謡曲「絃上」で謡い語られ、広く世に知られました。

また、この地には以前から前方後円墳があり、その形が琵琶に似ているのて、龍宮から航密から藤原師長に捧げた名器獅子丸を埋めた場所であるとも伝えられています。

神社への参道の左角に古い標石が建っており、それには正面に「村上帝社琵瑟達人師長」と刻まれています。

いずれにしても村上天皇にまつわる伝説からこの地に村上天皇を冠り神社としたもので、毎年天皇の命日にあたる五月末には例祭が行われます。

西須磨協議会

絃上は村上天皇の琵琶です。
村上天皇(926年〜967年)は62代天皇で、在位は 天慶9年/967年〜康保4年/967年。

藤原師長(保延4年/1138年〜建久3年/1192年)は琵琶の名手で、琵琶譜『三五要録』と箏譜『仁智要録』を編纂しました。
父・頼長が保元の乱(保元元年/1156年)を起こします。治承3年(1179年)に平清盛によって解官され、尾張に流されました。

狭い境内に小さな祠が建っています。

話曲玄象(絃上)と村上帝社

琵琶の名手太政大臣藤原師長は唐(中国)に渡りなおも奥義を極めたいと願い、都を出立して須磨の汐汲みの老夫婦の塩屋に宿る。

夫婦の奏でる秘曲「越天楽」の感涙もこぼれ嬰児も踊るばかりの神技に感じ入った師長は入唐を思いとどまった。

この老夫婦は、名器絃上の所持者村上天皇と梨壺の女御が渡唐をやめさせるために師長の前に現われた精霊であった。

やがて村上天皇が本体を表し、竜神を呼んで今一つの名器獅子丸の琵琶を持参せしめて師長に授け、喜びの舞をなし給うという国威宣揚を意図して描かれた曲である。

村上帝社は摂関政治を抑え、文化の向上や倹約を旨とされて「天暦の治」として名高い天皇らしい社である。

師長の名器獅子丸を埋めた琵琶塚は、もと境内にあったが、今は線路で二分されている。

謡曲史跡保存会

線路の向こう側に琵琶塚がありました。

琵琶の名手であったり、文化を愛した天皇をお祭りするというのがいいなあと思います。