佐用都比賣神社

佐用都比賣神社は佐用市にある古い歴史を持つ神社です。
播磨国風土記には次のような話が述べられています。

出雲の国から来た伊和大神と妹の玉津日女命(たまつひめのみこと)が佐用の領有を争ったとき、玉津日女命は、 生きた鹿の腹をさいてその血に稲をまいた。
すると、一夜で苗が生えたのでそれを植え付けた。
大神は「汝妹は五月夜(さよ)に植えつるかも」 と言って、他の土地へ去って行かれた。
こうして讃容(さよ)という地名がつき、妹神を賛用都比売命(さよつひめのみこと)と名付けられた。

伊和大神は佐用で妹神の玉津日女命に負け、安志(姫路市)では安志姫命に求婚してふられるという、大神でありながら色々苦労されています。

続日本後紀に「嘉祥2年(849)、官社になった」との記載があり大社であったようですが、羽柴秀吉による播州平定の戦いで兵火にあい消失。その後、松平石見守などにより拝殿、本殿が再建されていったようです。
御祭神は狭依毘売命(さよりひめのみこと)、またの名は杵島姫命です。

入口の鳥居
禊ぎ、祓いを祈念する塩川神社
播磨風土記、続日本後紀への記載神社標
奇跡の開眼之梅

狛犬は陶器でできていました。