兵庫新開地にある厳島神社は平清盛が勧請した兵庫七弁天の一つ、お洒落弁天の神社。
平清盛が治水のために建立した最初の神社だそうです。
お洒落弁天とか、今どきの名で、清盛とは関係ないと思ったのですが、神社の説明板には次のように書かれていました。
治承四年(1180)、 福原遷都の際、 平清盛が平家一門の氏神として深く信仰している安芸国厳島神社をこの地に勧請しました。福原京の周り七つの地に厳島神社を勧請したので、七弁天と呼ばれ花隈・佐比江・西宮内・夢野・真野・渦輪とこの社となっています。他の弁天社が神社や寺と併祀しているのに対し、ここのみが独立していたため、渦輪にあった弁天社を合祀して存続しています。
神社の説明板より
ご祭神は市杵島比売命。創建は治承4年。平清盛による福原遷都が行われた年です。
「お洒落」とかは別として、平清盛は平家を守るため神様の助けを得ようと考えたのでしょう。
神社の由緒として次のような話が伝えられています。
清盛公が兵庫の港に築島を築こうとされた時、ある夜の夢に天女が現われ「私は安芸国厳島明神である。この海を暴風雨から守り、汝の志しを能く成就せしめんが為に来たのである。篤く信仰して必ず疑うことなかれ」とお告げになりました。清盛公は深く喜び、兵庫の港の守り神として明神を祀ることにしました。
神社の説明板より
さらに「龍燈の松」という伝説も伝えられています。
平清盛が遷座の儀式を行っていると、境内にあった大木の松のこずえに不思議な火が現われた。占ってみると、「この灯明は、海の龍神の奉納せしものなり」との神託があった。
650年後の江戸時代、文政9年(1826)、この松のこずえに再び灯火が輝いた。その火は海の中から光って飛び出し、兵庫津に停泊していた船の帆柱に登ったかと思うと、空を飛んでこの松までやってきてとまり、周辺を明るく照らした。
人々はこの松を神木として敬い、外弁天の「龍灯の松」と呼んだ。
明治時代には「龍灯の松」はすでに枯れていたようですが、境内には太さ 1.5 m、高さ3mの株が残っていましたが、戦災で焼失したそうです。
戦争がなかったら「龍燈の松」を見られたかも知れない。
2月8日に「針供養」が開催されます。
日本和裁士会兵庫県支部、兵庫区連合婦人会その他の団体が協賛する大きな行事です。
「裁縫上手と一緒に、おしゃれ上手になれるようお祈りしよう」と看板にありました。
淡島神社の淡島さまは医薬を始めた神様。婦人病、安産、子授けなど女性に関するあらゆることに霊験のある女性の守り神。天井にぶら下げられた提灯の色が美しい。
桜が咲いていて、社殿の朱色とマッチしてきれいでした。お洒落弁天です。
兵庫七弁天は平清盛ゆかりの2つの寺を加えて、9つの寺社を巡ります。
和田神社(安全弁天)、真光寺(音楽弁天)、能福寺(清盛くん)、来迎寺(松王丸くん)、済鱗寺(勉強弁天)、恵林寺(運動弁天)、兵庫厳島神社(お洒落弁天)、氷室神社(恋愛弁天)、花隈厳島神社(健康弁天)