姫路市豊沢町に「刃の宮地蔵尊」という小さなお堂があります。
お堂の脇にある刃の宮地蔵尊史には次のようなことが記されていました。
平安末期の頃(一條天皇)、京三條の刀匠小鍛治宗近が豊前(福岡県)宇佐八幡宮に神剣奉納のため下向の途中、この地(芝原村)にて病(歯痛)に臥し、或る夜夢に老翁現れ曰く「御神体は先手当国(播磨国)松原八幡宮に移りし故豊前まで下向するに及ばず。この地にて剣を鍛え八幡宮に奉納せよ」
刃の宮地蔵尊史より
宗近この神託により打たんとすれど相槌なきため如何にすべきかと困りしとき都より稲荷神狐鉄匠(孫太郎狐)来たりて相槌を打ち一口の神剣を鍛え松原八幡宮へ奉納し後この地に没した。
里人等その跡に一宇の小堂を建て、宗近の帰依せし石体の地蔵尊を安置し冥福を祈り、世にこれを刃の宮または歯の地蔵とあがめ祭り今日に至れり
京三條の刀匠小鍛治宗近(こかじむねちか)は平安時代、一条天皇の頃の刀匠でした。
三條小鍛冶宗近という刃物を製造販売するお店が奈良にあり、その名は刀匠の宗近から来ているということです。一条天皇は約1000年前の人。その頃の刀匠に縁があるとはすごいですね。
「小鍛治」という能楽があります。次のようなストーリーです。
刃の宮地蔵尊史と似ています。
もしかしたら、刃の宮地蔵尊史がもとにあって、そこから小鍛治の能楽が作られた?
もし、そうなら刀匠小鍛治宗近は本当に姫路で亡くなったのかもしれません。
刃の宮地蔵尊の隣には孫太郎稲荷が建てられ、孫太郎稲荷大神がまつられています。
二人は今も助け合っているのかもしれないですね。
一条天皇から剣を打つよう命じられた宗近。相鎚を打つ者がいない、と訴えますが、聞き入れてもらえません。宗近は氏神の稲荷明神に助けを求めます。すると少年が現れ、「神の助けによって剣は完成する」と告げ、消えていきました。
家に戻った宗近が神に祈りを捧げていると稲荷明神の狐霊が現れ、相槌を務めます。
こうして霊剣「小狐丸」が完成。稲荷明神は稲荷山へ帰っていった。