駒林神社

駒林神社は長田港に面して鎮座されています。
昔から駒林神社は海に関係する重要な役割を果たしていたようです。

駒林神社宮司 中山信一氏が書かれた「左義長の研究」という資料には次のようなことが記されていました。

務古(武庫)の水門、輪田の泊浪華に設けられた鴻臚館の玄蕃寮の役人が駒林神社に駐在し、日本に来る高麗人、唐人を検問。上陸して都へ向かわせる、水路を浪華へ行かせる、入国を禁止し本国へ返すかを取り調べていた。

今の入国審査・イミグレーションと同じことをしていたようです。

他にも海に関するエピソードが伝えられています。

  1. 厳島神社へ参詣に向かう平清盛が上陸したとの記録が山槐記に残っています。
    山槐記とは平安末期から鎌倉初期の公卿・中山忠親が残した約40年間の日記。すごい記録です。
荒神社
清盛上陸の地
  1. 延元元年(1336)、戦に敗れた足利尊氏駒林神社に参詣し、神社前の浜から九州へ逃げる船に乗り込みました。
    そのとき尊氏は歌を詠みます。
     今むかふ 方は明石の浦ながら まだ晴れやらぬ 我が思ひかな
    負けて逃げていくのに、悲壮な感じがしない歌です。
  2. 左義長

神社前の砂浜で「駒ケ林のけんか祭り」と言われた左義長という勇壮な行事が行われていたようです。
左義長を説明する文章からはどういう行事かわからないのですが、昔の運動会であった棒倒しのようなものではないかと思いました。
図は行事のときに使う左義長で高さは13.5間(約24m)。すごく大きいです。
長田港が整備され砂浜がなくなったため、左義長が開催できなくなります。昭和34年、左義長は中止されました。

「左義長の研究」より
  1. いかなごくぎ煮発祥の碑が鳥居前の石灯籠のところにあります。
    碑によると「左義長の始まりは平安時代の永延二年(九八八)と伝わっており、遅くともその頃にはいかなご漁が始まっていたことが伺える」とあります。左義長も歴史が古いですがイカナゴのくぎ煮も歴史がありますね。

砂浜からコンクリート作りの港に変わりましたが、昔も今もここから海に出たのですね。