明石に源氏物語にまつわる史跡があります。この善楽寺周辺に源氏物語の史跡が残っています。
源氏物語はフィクションなので、実際に遺物があるはずはないのですが、文学を愛した明石藩主・松平忠国が、明石が「源氏物語」の舞台になっていることから、光源氏や明石入道の碑を造りました。
岩屋神社
明石港に近い岩屋神社の境内には光源氏が月見をしたとされる松があります。
岩屋神社は源氏物語にでてくる明石の南端に位置するそうです。
岩屋神社の近くには、戒光院、無量光寺、蔦の細道などの源氏物語にゆかりのお寺、史跡があります。
善楽寺
善楽寺は大化年間(645〜650)に法道仙人によって創建されたとされる明石で一番古い寺です。
保元元年(1156)播磨守であった平清盛によって再興。清盛は寺僧に自念仏と寺領500石を与えたといいます。
昭和20年(1945)空襲で焼失。
現在は戒光院、実相院、円珠院として残っています。
戒光院境内には平清盛五輪塔があります。
この五輪塔は養和2年(1183)清盛の甥の忠快律師がこの寺の僧だったとき、清盛の厚恩に報いるために建立されたたと伝えられています。
善楽寺は源氏物語に出てくる明石入道の「浜辺の館」とされています。
境内には「明石入道の碑」、「光源氏古跡明石浦の浜の松」があります。
明石入道の碑には松平忠国の和歌が刻まれています。
「いにしへの 名のみ残りて ありあけの あかしの上の 親住みし跡」
明石の上は源氏物語に出てくるヒロイン。光源氏と恋に落ちます。その父が明石入道。光源氏は明石の上がいる「浜の館」に通ってきます。
無量光寺
光源氏が月見をしたといわれ、山号は「月浦山」です。
ここの山門は江戸時代の名彫物師「左甚五郎」が作ったと伝えられています。
明石の上が住む「岡之館」へ、光源氏が通った道がお寺の横にあります。「蔦の細道」と名付けられています。
岡之館
明石入道が住んだとされる「岡之館」は神戸市西区櫨谷町に残っています。
ここも明石藩主・松平忠国が指定した場所で、石碑を建てました(右側にある直方体の石碑)。
ここで忠国は次の歌を残しています。
「月影の 光る君住む 跡とへば
里の屋敷に 志げる蓬生」
松平忠国公(1597〜1659)は江戸時代前期の大名です。
元和6年(1620)丹波篠山藩主(5万石)、慶安2年(1649)に明石藩主になりました。城下を整備し、新田開発、掘割の開削したお殿様です。
大坂夏の陣に父とともに出陣して功を挙げるという武人としての面と、茶道や和歌への造詣があるという、文武両道の人であったようです。