常盤御前の墓

関ヶ原に牛若丸(源義経)の母常盤御前の墓がありました。
源氏の武将・源義朝との間に今若(阿野全成)、乙若(義円)、牛若(源義経)の3人を産みました。
平治の乱(1160)に破れた源義朝は逃亡の途中に討ち取られ、3人の子供はそれぞれ寺に預けられます。承安4年(1174)、16歳の義経は鞍馬寺から奥州平泉、藤原氏のもとに向かいました。

関ケ原町の説明板には次のように記されていました

東国に走った牛若の行方を案じ、乳母の千種と後を追って来た常盤は、土賊に襲われて息を引取ります。
哀れに思った山中の里人が、ここに葬り塚を築いたと伝えられています。

関ケ原町の説明板より

また、ここに松尾芭蕉の句碑がありました。
化月坊という江戸後期の俳人が建てたものでした。
句碑には芭蕉の句と自作の句が刻まれています。

芭蕉の句は「義ともの心に似たり秋の風」という句で、「義とも」は常盤御前の夫・源義朝です。「野ざらし紀行」の旅で、芭蕉はこの塚を訪れたようです。
秋の風が寂しく吹いていたのでしょうか。