加古川市の神吉八幡神社におまいりしました。
由緒の石碑によると、創立は応永3年(1396)で妙見大明神と称しました。
嘉吉の乱により社殿焼失。その後、聖武天皇の行宮と伝わる神吉宮前北の地に社殿を建てます。
寛永9年(1632)雷で社殿焼失。天和3年(1683)再建。
現在の社殿はこのときに再建されたものです。
随神門をくぐると立派な石垣が現れます。
この石垣に文字が刻まれた石があります。
刻まれた文字は
「此石垣天文年中神吉城主 中務少輔神吉頼経公之所築 也恐後世失願主之名茲記之」。
意味は「この石垣は、天文年中(1532〜1555)に神吉城主中務少輔 吉頼経公が築いた。後にそれがわからなくなることを恐れ、ここに記す」ということで、誰が作ったかを後世に残すためのものでした。
こんなにも立派な石垣です。名を残しておきたいですよね。
石垣はまるでお城のようでした。
息子の神吉頼定公が織田軍と戦ったとき、神吉八幡神社はお城の役目も果たしたのではないかと思いました。