一乗寺下り松・八大神社

一乗寺下がり松

宮本武蔵と吉岡一門が決闘したという一乗寺下がり松を訪問しました。

吉川英治の「宮本武蔵」では一乗寺の決闘が詳しく書かれています。

足利将軍家の剣術師範を務めた吉岡道場。その主・吉岡清十郎は武蔵に敗れ、弟・伝七郎も返り討ちにされる。後に引けない吉岡一門。清十郎の甥、わずか12歳の吉岡源次郎を名目人として武蔵に決闘を挑んだ。
場所は一乗寺下り松。吉岡方は数十人で武蔵を待ち受ける。
月も落ち、夜もまだ明けきらない闇の中、一乗寺下り松を見おろす高地から吉岡方の動きをさぐった武蔵。八大神社の境内から坂を駆け下る。
神にたのまず、死を味方にたった一人、死地に進む。
吉岡源次郎を一刀のもとに倒し、襲ってくる吉岡勢を斬り伏せていく。

宮本武蔵決闘の碑(左)、大楠公戦陣碑(右)

京都市の案内板によると、ここは近江から比叡山を経て京に通じる平安時代からの交通の要衝で、ここの松は旅人の目印として植え継がれており、現在の松は五代目。地名の一乗寺は、南北朝の動乱以後に廃寺となった一乗寺が由来ということです。

下り松のすぐ横には八大神社の一の鳥居があります。決闘の頃にもあったのでしょうか。

八大神社の一の鳥居

一の鳥居から約200m、坂を登ったところに八大神社があります。坂はけっこう急でした。
八大神社から駆け下りたとすると、かなりのスピードが出ると思いました。

八大神社鳥居

永仁2年(1294)に八大天王が勧請されたという古い神社。
ご祭神は素盞嗚命(すさのおのみこと)、稲田姫命(いなだひめのみこと)、八王子命(はちおうじのみこと)です。

社殿

境内の一角に「宮本武蔵像」と「下り松古木」が展示されています。

武蔵像と下り松古木

「下り松古木」は慶長9年(1604)の決闘前から明治まで生きた松の一部です。武蔵野戦いの一部始終を見ていた松です。
決闘のとき、武蔵は21歳。若いです。
死ぬ7日前に弟子の寺尾孫之允に渡した独行道には『仏神は尊し仏神をたのまず』とあり、これは吉岡道場との決闘のときの心境とされています。

宮本武蔵おみくじがありました。
独行道の一文が書かれているとあります。
くじを引いてみると『身をあさく思い、世をふかく思う』。
意味は「どんなに自分が正しいと思っても、神仏の道に添っているか、確かめてから行動し、自分より他人の幸福を深く考えることが大切」でした。

宮本武蔵おみくじ