七種山に登る

七種山(なぐさやま)に登りました。
七種山は標高683m。奈具佐山として播磨風土記にも記述される山です。
しかし、地名の由来を必ずといっていいほど書いている播磨風土記が七草山に関してはヒノキが生えていることは記していても、名前の由来についてはわからないで済ませています。

福崎町立青少年野外活動センター

金剛城寺からの道を登山口まで進みます。
途中に福崎町立青少年野外活動センターがありました。ここはキャンプ場でBBQも楽しめる設備があるようです。

山の方へ入っていくと道の両側の杉木立がすばらしい。

道の両側の杉木立

作門寺山門に到着しました。
現在、ここから南に約4kmのところにある金剛城寺は、江戸時代には作門寺という名で、このあたりにありました。

作門寺山門

作門寺は昔は滋岡寺といったようです。滋岡寺を説明する「滋岡川人(しげおかせんにん)と七種山」という看板があり、そこに七種山の名前の由来がありました。

大昔、滝の流れる滋岡(七種の別名)に、どこの国の誰かわからない優れた老人(男性)が住みつき、いつも見え隠れしていたので滋岡川人と呼ばれました。ある時、国中で大きな干ばつが何年も続き、五穀(米・麦・あわ・きび・豆)の種もなくなり、多くの人が飢え死にました。そんな中、滋岡川人が山をニ十余丁下り、穀物の種を人々に分け与えました。種をまくとよく実ったので、人々は喜び滋岡川人を厚く敬いました。穀物の種は、籾・大麦・小麦・大豆・小豆・あわ・ひえの七種であったので、七種山と名付けられたと伝えられています。
~~ 後略 ~~

「滋岡川人(しげおかせんにん)と七種山」看板より

播磨風土記を編集した人はこの話を知らなかったのですね。

作門寺の門を過ぎ、少し歩くと鳥居と朱色の橋が現れました。ちょっと神秘的な感じがします。
ここまでは自動車でも来られるのですが、この橋からは山登りが始まります。

鳥居と朱色の橋

山道を登っていくと八龍滝が現れます。
しかし水が流れてません!
最近天気が良くて全く雨が降っていないせいでしょうか。滝のあとが黒くなっているだけです。

八龍滝

もしや、七種の滝にも水は流れていないのでは、と不安に思いながら登っていきました。
七種神社に到着。

七種神社

やはり、七種の滝にも水は全く流れていませんでした。
落差72mの美しい滝を期待していたのに。。。

水のない七種の滝

きれいに晴れていた日だったので七種神社からの眺めは良かったです。

七種神社からの眺め

期待していた七種の滝を見られなかったので、どうしようと思っていたときに七種山登山の看板を見つけました。
山頂まで50分と書かれています。
なんとなく、「せっかくここまで来たし、今から登るとちょうど山頂で昼食ができる」と悪魔のささやきが。
結局、山頂まで登ることにしました。

頂上まで50分の看板

ところがこの登山がたいへんでした。

へとへとになりながら登っていくと
「山頂への(40分)急登に堪えるのも またあなたの人生です。頑張れ!  兵庫登山会」
の看板が。。。
たった10分しか登っていないのか。
ここからまだ40分もある、と思いつつ、意を決して頑張りました。

兵庫登山会の看板

道はあるのですが、坂が急で岩の段差が大きいところはロープを使って登ります。
信州・美ヶ原で牛伏山に登ったのとはたいへんな違いです。

やっとの思いで登っていくと、頂上まで110mのところにある展望台にでました。
ここまで頑張ったかいがありました。
遠くまで山並みを見渡すことができます。すばらしい景色です。

展望台からの景色

きれいな景色を見て気を取り直して、ようやく七種山の山頂に到着です。
昼ご飯も食べれました。
よかった。

七種山山頂

山頂のすぐ下に「つなぎ岩」があるという看板があります。
「つなぎ岩」とはどういう岩かなと思い見てみました。
巨石が縦に真っ二つに割れたように削れています(底はつながっている)。この隙間に落ちたら、つなぎ岩から転落したら死ぬと思い、怖かった。

二つに割れたつなぎ岩

昔、弘法大師がこの岩の上で護摩の秘法を修練したという言い伝えがあります。
弘法大師は高いところも怖くなかったのでしょうね。

割れたところ

頂上にたどり着けたし、つなぎ岩を見ることもできたということで下山しました。
滑り落ちそうなところもあって、下山もまたきつかった。
でも、何とか怪我をせずに降りることができたので、疲れたけれど楽しい登山になりました。