東海道唯一の海路である七里の渡し。
名古屋市熱田と三重県桑名を結ぶ七里(28km)の航路で、熱田~桑名間を4時間程度で結んでいたそうです。
現在の地図に航路を書くと下図のようになります。
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江戸時代と現代では海岸線が違うのでわかりにくいですが、木曽三川(木曽川、長良川、揖斐川)で遮られる陸路より、船で往来する方がずっと楽に旅ができたようです。
東海道も現在の東海道新幹線のルートとは異なり、桑名から四日市、亀山、甲賀、草津というルートで京都に出ていました。
名古屋側
熱田神宮から少し南に名古屋側の七里の渡し発着場があります。
江戸時代には熱田湊として繁栄したそうです。現在は宮の渡し公園となっています。
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宮の渡し公園には時の鐘(鐘楼)や常夜灯が再現されています。
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松尾芭蕉と熱田の関係を説明した看板がありました。
旅人でもある芭蕉は熱田にもよく来ていたのではないでしょうか。
看板には「熱田で舟遊びを堪能した芭蕉は五・五・七の歌などを作り、作風が12回変わる芭蕉の時代になるきっかけが生まれた。名古屋が「蕉風発祥の地」といわれる由縁である」ということが書かれ、「海暮れて 鴨の声 ほのかに白し」という句が紹介されていました。
江戸時代は海でしたが、今は海に出るために川を下っていかなければなりません。地形の変化が激しいです。
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桑名側
次は桑名側です。
桑名城の近くに七里の渡し発着城跡があり。七里の渡しの碑が建っています。
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桑名は東海道42番目の宿場町として栄えました。ここから伊勢神宮へ参る伊勢路ということで、鳥居は「伊勢国一の鳥居」と称されています。
遷宮ごとに伊勢神宮の宇治橋外側の鳥居がここに送られ、建て替えられているそうです。
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東海道を示す石碑が建っていました。
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