坂元薬師堂について姫路市の説明看板ではこのように記されています。
「播州牛堂山国分寺縁起」宝暦10年(1760)によると、国分寺には本堂の薬師を含めて薬帥七仏があったとある。
説明看板より
薬師のあったところは国分寺の「寺内」とされてあり、麻生山と火山(御着南山)も往古は国分寺の境内とされているので、この地も広大な国分寺境内に位置していたことになる。
播磨国分寺、国分尼寺、坂元薬師堂の位置関係は図のようになります。
国分寺の地内は現在の四郷町と御着の北側の御国野町もすっぽり入る大きさです。
今、国分寺跡には何も残っていないけれど、当時はすごい建物群があって、その周辺にもお堂がたくさんあったのでしょう。